2006年09月16日

No.1とOnly 1

以前、研究会で話題になった話。

治療関係と面接?他者と出会うということ

最初は成田先生の著書からの最近の青年の自己愛についての話だったのだけど、そこからなぜSMAPの世界に一つだけの花が流行ったのかということになった。話題の中心となったのは曲中で歌われるonly1に人々が共感したのは健全な自己愛によるものか、もしくは不健全な自己愛によるものかということだった。
健全な自己愛は自分の限界に気付いて万能感を排した上で等身大の自分を認められるもので、不健全な自己愛は万能間を排することなく何でもできるかのように自分を認知しているもの(厳密にいえばもっと異なるだろうが)。
つまり、No.1になれないけれどもそれでも自分は自分でありonly1で価値があると人々は捉えていたのか、No.1とか何だろうが関係なくただただ自分が存在しているというonly1それだけで価値があると捉えていたのかというどちらなのだろうか、ということだ。

何となく私は上記でいえば不健全な自己愛のもと、only1が流行ったように思う。人はNo.1になろうとすることを放棄してonly1を重視し過ぎているのではないか。別に私はNo.1がいいといっているわけではない。しかしNo.1になろうとすることは自分と他者との間に存在する優劣に着目することになり、そこから他者と自分との間の違いを認識することにつながる。その違いが絶対的なものでなくなることがないと悟ったその果てに万能感を排した、他者と異なっている本当に価値あるonly1な自分が立ち現れるのではないか。(もちろんNo.1になろうとすることなく、他者との違いを認めて自分を確立することはよいことだ。)
それに対して流行ったonly1は他者と比べることなく自分を価値ある存在だと考えているように思える。比較することは時に悪のように捉えられるが、他者との間に横たわる違いを認識することなく自分を確立することができるだろうか。他者が全く存在しないような世界で自分というものはあり得るのだろうか。only1という言葉は他者と比べることなく勝手に自分が個性的だと考える自己満足的なあり方を助長しているような気がする。そしておそらく他者との違いを認めないあり方は他者をかけがえのないonly1な存在として尊重することにはならないだろう。
ちなみにSMAPの歌詞は「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」だけれども、「NO.1になれなくてもいい もともと特別なOnly one」だったら、あの歌は流行ったのかな。
posted by hiro at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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