2006年11月09日

あるヒステリー分析の断片

あるヒステリー分析の断片?ドーラの症例





明後日テストなのですが、現実逃避に書きます。
先日の勉強会にて読んだ本。分析会の大御所の先生に来て頂き実りのあるものでした。

フロイトの数少ない症例報告の中でもかなり初期のもので、フロイトの失敗の症例でもある。考察すべき点は多いと思うが、個人的に気になった悪い点と良い点を順に列挙。悪い点。
あまりにも夢や連想の内容を性的なことに結びつけすぎていること。もちろんこの時期フロイトが理論的にヒステリーは性的な葛藤がなければ起こらないとしていることも考慮に入れなければならないけれども。現代的に見ればこじつけと思われる点も多々あり。現代ならばどのような解釈を行うだろうか。もっとhere & nowの解釈を行うだろうし、器官を直接指す器官解釈よりもその象徴的意義を読み取った機能解釈を行うだろう。これは関係ないけれども、現在は内容解釈(「あなたは性的衝動を感じていますね」)よりも防衛解釈(「あなたは性的衝動を感じて不安になってますね」)を早期に行うことがセオリーらしい。クライエントの信頼を得るためだそうだ。
またフロイトのドラに相対する態度の悪さもよろしくない。もともとフロイトはその論文の書き方からして反論を予想した上で、それでも真実はこうなのですとやや自信過剰な態度がみてとれるが(そうでない部分ももちろんある)、本書の中でも同じような態度でドラに接している。ドラがそうではないと否定を表しても、あまり意に介していない部分が多数みられる。「あなたがそう言っても真実はこうなのですよ」というような。さらにフロイトは「否と言うことこそが肯定の印である」というようなことを書いている。もしそうであるなら、全ての解釈を肯定しているように考えることができてしまう。この言いようからもフロイトの自信の持ちようが感じられるが、このような治療者の態度ではラポールは得られないだろう。特にドラは最初から父とフロイトの関係を推測してフロイトを疑ってかかっているようにみられるのだから。現代的には解釈はあくまでも仮説の提供であり、それをどのように受け止めるかはクライエントの自由に任せられている。例えばウィニコットの症例を読むと彼は「私は・・・と思うんだけど」「私は・・・と感じますよ」というように、とてもやわらかい物言いをして伝えていてあくまで「私」の意見・仮説であることを強調しているようである。

良い点
おそらく広く一般的にヒステリーに対して心因論を取っていると思われている(さらにいってしまえばすべての精神障害を心因論的に扱っていると考えられている)精神分析だが、あくまでフロイトは医師出身ということもあり身体的な素因が存在するとこの時期から述べている点。今でこそ様々な障害も脳の変化に第一に起因するだろうと考えられているが、フロイトも同様のこと(脳内の化学的反応に由来する、など)を述べている。これらは梅毒の正体を明らかにしたドイツ精神医学の流れの強さも感じられる(実際フロイトはドイツ精神医学の雄ブロイラーとも交流はあったようだ)。ただ現在それらを直接的に知る手だても解決する手だてもないので、心因的な要素を扱って解決を図っているのだとしている。この点は結局現在の心理療法の拠り所そのままだろう。現在では化学的反応も少しずつ解明されてきて薬物療法が中心になってきていて、薬物への反応が良くない場合や心因的な要因が強いと考えられる場合に心理療法は行われているだろう。もしすべての心理的な障害、葛藤なども薬物など物質的なもので解消されるようになってしまえば心理療法の存在意義が失われないとはしても、薄れてしまうだろう。
さらに良い点は転移について至った点。転移とは簡単に言ってしまえば、昔の重要な人物(例えば両親)との関係を今目の前にいる治療者との間の関係にも同様に重ね合わせてしまう現象である(治療者に対して両親のようにコミュニケートする)。本書に書かれている転移の定義はそのまま現在にも通じているように思われる。フロイトは転移は分析において必ず起きる必然の現象であり、治療の邪魔であると同時に治療の補助になるとしている。ただフロイトはまだ「転移を扱う事自体」が神経症の治療になるとはしておらず、転移を扱うことによって本丸とも言える「抵抗の分析」が行えると考えている。フロイトも後になると転移を扱うことが精神分析の治療の本質であると考えるようになるが、その萌芽が感じられる点である。

全体的な感想として、本書は転移の書とも言えるのではないかとも思う。まだフロイトは転移についての考察を深めておらず、転移について書かれているのは最後のあとがきにおける数ページである。しかし、症例報告中における(特に夢の分析中の)2人のやりとりや関係からは生々しい転移が巻き起こっている現象が感じられるし、読み取れる。この症例ではドラからの転移のみならず、フロイトからの逆転移も起こって治療は中断されてしまっているように思われるのだが、その個人的な由来を持つ逆転移だけでなくドラが投げかけてくる父親やKの像にフロイト自信がそのまま同一化してしまっているように思われる。この点で言えばフロイトからの病的な逆転移が起こっているというよりも、ドラからの投影同一化が行われていて、二人による相互関係の間に発生する転移の絡み合いと発展が起こっているように思う。ドラの転移、フロイトの逆転移というと別々の要因として扱われているように感じるのだが、二人のユニットとしてその間にどのような転移として捉えられる関係が発生していっているのかを考えるのも有益なのではないか。おそらくこんな考えはすでに誰かが扱っているのだろうけれども。悪い点もあるけれども、転移の生々しさは実はかなり感じられる本なのではないかと思う。

勉強会に参加していて思うことだけれども、一昨年受けた精神分析の講義は実はかなり充実していたのだと思う。実際の分析技術の力は別として、あの講義によってかなりの精神分析の知識は得られていると実感する。フロイトから対症関係論までかなり突っ込んだことを扱っていると思う。今受けている人はあまり実感ないかもしれないですけど。外に出ると感じます。外の人たちで精神分析の有名な症例とか理論とかの概説を知らない人は多いのかもしれない。もちろん私たちも他の流派の有名な症例や理論の概説は同様にわからないだろうけれども。
posted by hiro at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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