2007年02月25日

精神療法と精神分析

F先生が土居先生の著作の中で最もよいと言った著作。

精神療法と精神分析


最初に読んだのは一昨年の夏で、その時はなぜ本書が最もよいとまで言わしめたのかはよくわからなかった。しかし、今回再読してそこまで言わしめた意味が少しわかったように感じられた。
内容は3部構成となっており、精神療法の構造、精神療法の過程、精神療法をめぐる諸問題と題されている。精神療法の構造は現在では通常心しておくべきとされることが書かれている。特徴的な部分は精神療法それぞれの学派には治療の方針と目的がそれぞれに存在し、それにもとづいて各学派を説明している部分だろう。精神療法をめぐる諸問題ではエッセイ風に書かれてはいるが、おそらく全編を通して精神分析が含む価値の問題について書かれていると思われる。精神分析は実際の臨床から生まれでたもので治療であるとはいえ、理想とする価値や人間像があり、そのことをどのように捉えるかが著者なりに書かれている。
本書で読む価値が最もあるのは精神療法の過程だろう。精神療法の開始から終了まで順を追って説明し、短い症例の実例も合わせてのせている。ただこれだけならばよくある書物の一冊にすぎないかもしれないが、特によいと思われる点は2点で、1点は説明が抽象的ではなく実感的ということである。精神分析には転移や逆転移、抵抗などと概念が多くあり抽象的に説明されるが、著者は転移を感情の問題と読み替え治療状況における感情の交流に焦点を当てて説明している。また抵抗も転移の異なる側面としてやはり感情の問題とする。そのため全編を通して治療者と患者の感情の問題を描いていて、転移などの概念を知らなくても読みやすく、概念にとらわれずに治療の実感を感じ取ることが出来る。またある状況に対して治療者はこう応ずることがよいだろうと書かれている部分も著者の治療の実際をうかがわせる。転移の読み替えや甘えへの着目など日本語に即した治療実践や理論を構築しようとした著者の意気込みが感じられる。
2点目は実際の症例である。あげられている症例はけっして成功した症例ではない。むしろ多くの失敗を重ねながらも続けられた症例ばかりである。著者は自分の症例を客観的にみて、この時はこう応ずるべきであったと書きつつ、実際の失敗したとも言える展開を描いていく。著者のようにもはや大家と考えられる人物が失敗を率直に描くことはとてつもない勇気を必要とするのではないか。しかし、著者が大家とされる所以は失敗の後にそのことを吟味し立ち直って治療を続け終了にもっていける点にある。症例の部分だけを順を追って読むだけでも価値は計り知れない。しかし、本書を読んで以前と変わらず心にひっかかる部分は治療者の愛情についての記述である。著者は治療者の側にも愛情が存在すると書き、フロイトが治療を進めるにあたって治療者の愛の価値を重視していることを引用する。私は前回読んだ時にもこの愛がどのような意味で用いられているのかがわからなかった。そもそも愛というものがよくわからないし、治療者の愛とは如何なるものか想像がつかなかった。
しかし、現在ならこのように言うことができると思う。おそらくこの愛とは性愛を排した人間愛なのである。神田橋條治が精神療法のコツで述べているように日本語の愛という言葉には性愛や人間愛などのニュアンスが多種多様に含まれている。そのためにおそらく臨床の場では使いづらいだろうし、むしろ著者のように治療者の愛と書くのは珍しいのではないか。
フロイトが愛と書くのはおそらく西洋社会の根幹にもなっているキリスト教の影響があろう。フロイト自身はユダヤ人で、ユダヤ教やキリスト教など特定の宗教を否定しているとはいえ、西洋社会に生きている以上キリスト教の影響を受けたloveを排することはできないだろう。そのloveと日本語の愛のニュアンスは通常このように訳されるとはいえ異なるものと考えられる(フロイトはloveではなくlieveと書いただろうが)。
著者が幾箇所かで治療者の愛ということについて書いているが、おそらく著者自身が敬虔なクリスチャンであることが影響を与えているだろう。著者は自身が信ずるloveをどうしても治療上位置づけたかったのではないだろうか。実際に著者は自身の信仰と精神療法を合わせて受け入れるために長年の葛藤を経たといわれるが、そのことをうかがわせる(おそらく第3部もその影響が濃いだろう)。
愛と日本語で記述すると多くのニュアンスに彩られる。古代ギリシャ語ではフィリア(友人間の愛)・エロス(異性間の愛)・アガペー(他者間の愛)・ストルゲー(家族間の愛)と分けられていた(後ろに書いたのは私なりの解釈)。特にアガペーは犠牲をもいとわない愛とされ、キリスト教に取り入れられ神の愛、目指すべき愛とされている。おそらく著者はこのような愛をさしたかったのだろう。しかし普通の日本語の感覚で言えば、治療者が患者に持つ思いやりや、なんとかして治療してあげたいという思いと表せばいいのではないだろうか。少しそれるが河合隼雄はクライエントに何か一点でも好きだと思える点がなければ治療を開始しない方がよいと言っている。治療者は患者・クライエントを選ぶことがほぼできないといえるが、実際に治療を開始する際には様々な想いが絡まり合っているに違いない。ときどきなぜこの治療を引き受けたのかを考えることは有用と思われる。
posted by hiro at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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