2007年03月13日

暗闇に光はさす。。。か

先日、祖母が倒れました。

朝に突然母からメールが来て、2・3日がヤマであると知らされました。予定をあらかたキャンセルして葬式を覚悟しながら実家に帰りました。心筋梗塞だったのですが、一度入院した後急変を起こし人工呼吸器をつけ意識を落とした状態でした。その後、意識を戻すことはできたのですが呼吸器を外してしまうと状態が悪化するため外せないそうです。意識を落とせば周りの機器が状態を安定させてくれるため急変はないけれども、そのような状態が続くことがよいことかわからないし、今後良好な状態にならなければもしかしたら悲しい決断をしなければならなくなるかもしれません。
同じ市内に住んでいたとはいえ同じ家に住んでいなかったので、同居していたいとこに比べれば私は実感がわきません。今も家の中でお茶でも飲んでいるのではないかと思ってしまいます。呼吸器をつけている祖母を見ても本当に現実なのかわかりませんでした。まだ生きているのに喪服の準備をしなければいけなくちぐはぐな感じがして、けれどもそのちぐはぐさが厳しい現実を表しているようで。なんとも言えません。
けれども一番辛かったのは祖父を見たときです。祖父も祖母もけっこうな年ですけれど、やはり祖父は自分よりも早く祖母が倒れるとは思っていなかったようでとてもショックを受けていました。意識のない祖母に話しかけたり、しきりに涙ぐんだり、怒ったり。。。2人で過ごしてきた年月の重みを感じさせられたし、その辛さが伝わってくるだけにぐっときました。祖父まで調子が悪くならないように祈り支えるばかりです。

続きはもっと冷めた目で感じたことについて。こんなに冷めた目を持つ自分もどうかと思うけれどもいくつか思うことがあったので。

まず患者の家族の心理について。当たり前といえば当たり前だけれども、些細なことで一喜一憂し揺れ動くような不安定な状態になるようです。さまざまな機器に数値が表示されていましたが、少し変化しただけで悪くなったように感じたり良くなったように感じたり。私は多少なりとも知識があるので本当に危険であればすぐに医療者がくるとわかっていたけれども、本当に家族は不安な状態になります。おそらくわけのわからない機器が多数つながれていて、わけのわからない薬品が多数入れられていることも拍車をかけているのだと思います。そのような状況をみても患者の実際の状態はわからないわけですから。このような状態であるのだから、不用意に言葉をかければ振り回されます。些細な一言に楽観したり悲観したり、もしくは厳しい状況の説明に対しても楽観的に理解しようとしたりします。
反対に医療者はそのような家族の心理にあまり関心がないように見えました。数値をチェックしにきたりと何度かベッドサイドにきても機械的に確認してすぐに行ってしまう。もちろん忙しいこともあるとは思いますけれども。でも一言何か言うだけでも家族の心理はもっと安定するのではないかと不満に感じました。また医師の説明の仕方について。医師は本当に専門用語を使うのが好きなようです。家族はあんな説明では理解できないでしょう。医師側が当然知っている知識も家族側は知らない訳ですから、普通の言葉でわかりやすく説明する必要があるというのに。時間もあまりかけず伝えておけばよいという印象も受けたし、家族側から質問されるのを面倒なように思っている様子もみえました。くだらないことは聞くなと言わんばかりに。今回の場合は父が家族側の通訳となったために父が時間をかけて家族に説明しましたが、知り合いに医師がいなければ家族は何もわからないままであるか、もしくは理解するために本当はかけなくともよい努力を必死にするのかもしれません。先に書いたように家族はちょっとした言葉にも反応しますから、医療者は自分が語る言葉の一言一言に責任を持つように慎重に喋らなくてはいけないでしょう。すべての医師が説明べたな医師であるとは思いませんが、自分が医師になった時にどのように説明すべきかということを強く考えさせてくれました。

また医療者側の対象喪失体験について。父は急変の連絡を受けた時に一言、死んだなと言ったようです。実際は予測は外れていますが、医療者は専門的な知識があるために普通の人々よりも対象喪失の予期がかなり早期に出来ます。現実にはまだ存在していて周囲もまだ存在しているように扱う中、先に見える対象喪失を内的に体験することはかなり辛い体験なのではないかと思います。
同時に父は周囲からは医師としての役割を期待されるために、実際の対象喪失の体験が難しいのではないかと思ってしまいました。冷静な医師として職業的に自分の母親に接しなければいけないというのは自分を押し殺しているのではないか。実際に親戚と見舞いに行ったときは冷静に説明したり振る舞っていたりしましたが、私と2人だけで行った時にはしんみりとして医師の顔というより息子の顔をしていたように感じました。
以前に読んだ記事で発達障碍を専門に扱っていた臨床心理士の人が自分の子が発達障碍の疑いがでてきたときに、それをなかなか認めることが出来ずむしろ否認していたとありました(その方はその後母として研究者として励んでいるようです)。おそらくある種の専門知識を持つ人は対象喪失に関して難しい点もあるのかもしれません(例えば弁護士が家族からおそらく負けるだろう裁判の状況を聞く時など)。

心理職を望んでいるとはいえ様々な状況においても自分や周囲の人の心理状態を推測するのは辛いというか、感情に人間的に身を預けられないのは不幸なのかもしれません。
posted by hiro at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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