2007年04月11日

夫婦カウンセリング

ユング派的カップルカウンセリング。

夫婦カウンセリング?女が真に求めるものは何か


本書の著者はフェミニストでユング派セラピストを自認しており、近年(1987年発刊)の夫婦間の不和は夫婦ともに女性性の軽視が根本にあり、個性化が阻まれているためだとする。その関係性の象徴として民話のガーウェインとラグニル姫の話を取り出し、男性は力に頼る乱暴者に陥らずに女性の自立性を受け入れ、女性はその女性性のネガティブな面(他者を取り込もうとする面)に取り付かれることなく、また男性のようになるのではなく、自分で女性性を発揮しながら自分の決定をする力を身につけなければならないとする。この筋道においてサイコドラマや認知療法など様々な技法を取り入れたカウンセリング技法についての説明がされる。
読後の印象はまずは時代性である。著者は民話を夫婦関係の象徴として用いているが、現在の夫婦関係も同様の民話で象徴できるかはわからない。特にケースによって象徴としての民話を用いるのではなく、すべての夫婦関係の象徴としてただひとつの民話を用いるのは枠にはめすぎているのではないかと感じる。確かにかつては女性の社会進出とともに女性が男性に対して対等になろうとすることは夫婦間の不和の大きな原因だったかもしれないが、現在もそうなのだろうか。もちろん不和のひとつの原因になりうるが、より様々な原因要因があるのではないだろうか。著者はフェミニストを自認しているが、(多かれ少なかれ個性としての主義主張はあろうが)その点で主義主張に強くとらわれることはケースそれ自体を把握するのに邪魔になるのではないだろうかと思う。
また技法はおそらく著者独自のものと思われる。いわゆるユング派の技法(夢分析やアクティブイマジネーションなど)ではないと思う。夫婦に互いの役割を交換して会話をさせたり、夫婦に会話をさせて治療者がその本音を代弁するように語るなどは以前見たミルトン・エリクソン的な催眠療法を連想させる。家族療法といえばシステム論的技法を最初に考えてしまうので新鮮ではある。また2人の治療者が夫婦の前で自分の考えを語り合う技法はリフレクティングの技法を連想させる。全体的に言える技法の特徴は積極的に夫婦関係に介入する点だろう。
ひとつの参考する見方として読むのが本書に対する適切な姿勢かもしれない。

少し話は変わるが、最近私は弁当を作っていてよく友人たちに「偉いね」「すごいね」と言われる。私自身は料理もそれなりに好きだしそんなに努力もしていないのでそのように思わないのだが、女性の友人が弁当を作っていっていることに対して「偉いね」「すごいね」と言われるのをあまり見たことがない。やはり今も料理をする男性は少数派で、料理は女性として当然の行動なのだろうか。
posted by hiro at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/104479735

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。