先日、なぜか大学学生相談室の講演で精神分析家の北山修先生が講師だったので拝聴してきました。
医学部のキャンパスには心理学科はないし、精神分析について予備知識があまりないと思われる人たちに対してどんなことを話すのだろうと興味深く思っていたら、精神分析入門みたいな話をしていましたw
もちろん噛み砕いて話していたので「転移」などの言葉はでませんでしたが。まわりの様子を見ていると分析的視点にピンとこない、合わない人たちもいたみたいだけど(そりゃそうだ)、北山先生は噛み砕いて話すのが上手ですね。普通の言葉で語るということの実例を見たような気がします。
分析のことは少しわきに置いて。
講演の後の質問タイムで「学生や職員が生き生きするために何かアドバイスを」という質問がいくつも出て、それに対する返答が「自分がまずは生き生きすること」というものだったんですが。
ようは、生き生きしている人を見てああいう人になりたいと周りの人が感じたら生き生きするようになりますよ、ということです。
自分がモデルになりなさいということですが、確かに生き生きしていない人に「生き生きしようよ」、と言われてもねぇ。。。
みんな他人を変えたがるのね、とちょっと思ってしまいました。
最終的に先生は「生き方を聞きたいんですねw」と本質的な返答。
そう話す北山先生はとても生き生きしていましたw「心理のことを考えているのが一番楽しいし生き生きする」ともおっしゃていたし。
なんだかんだで自分が出会う先生方は生き生きしている方が多いですね。確かにああいう風に生きるのは楽しそうだと思います。
しかし、翻って自分の生活を見てみるとあんまり生き生きしてねぇ。。。
先生は医者は文化人である方がいいし、医者でなくても生きられるような人であった方がいいとおっしゃっていました。
ようは専門バカになるなと受け取りましたが、今のテストテストの生活を考えると確実に医学バカになるような気がします。
今いきなり医学部を退学したとしてどのように生きられるもんだろうか。。。
本当はもっと小説読んだり、舞台観たり、絵を観たり、遊んだりしたいんだけどなぁ。
なんか自分の中の情緒的なものをつかむ力というか感性が落ちてきているような気がして、実は危機感を持っています。
現実的な側面や現実的な言葉ばかりに捕われているみたいで。
少し前に昔の日記を読み返したのだけれど、あの文章をいま書けるかと言われれば書けない。
多分に恥ずかしく青臭い自己開示の文章が含まれているけれど、あの言葉を選び取るセンスが少なくとも今はないと思う。
ちょっと昔の自分に嫉妬w
おおいに医学部に来たことが影響していると思います。
まぁいまさら言っても仕方ないので、ようは時間の使い方で、もっと効率的に勉強して創造的な時間を産み出せるようにするのが解決方法ですね。
映画は週一で観てるんですけどね、レビューは進まない。このレビューの進まなさにもつかみとる感性の鈍りを感じるのだけれど。まぁ、いずれ。
最後は半分愚痴くさい長文になりましたw
土日はけっきょく勉強だなぁ、誰か暗記術を教えて下さい。
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