2007年08月01日

始めました

家計簿。

一人暮らし5年目にして初めて。まぁまだ一週間くらいなのであまり全体的なお金の流れはわからないのですが。それでもつけ始めると自分の毎日のお金の使い方に敏感になるような気がします。無駄な消費を減らして貯蓄したい。
ちょっと投資などを考えることもあります。こうみえても経済とかは好きなんです。高校生の一時期、日本経済の本、株の本、投資信託、外貨預金などの本を読んで経済学に進みたいときもありました。なんだかんだで今の道ですけど。しかし、元手が少ないことと通常の収入がないのでリスクをもろにかぶった時のことを考えると踏み出せない。ある種のギャンブルですし。ちゃんと儲けられる人は数%という世界ですから。損する人が大量にいるからこそ儲ける人は存在する。

話は変わり、先日福岡に行きました。大学のアルバイト関連と祖母に会いに。祖母は昔と同じような部分もありつつ、大きく変わる部分もあり、時の流れは残酷であることを感じます。時の流れというのは色々なものを喪失する過程であると思うのですが(もちろん得るものも同じだけあるけれど、最終的には失うものでしょう?)、この喪失の過程を幸福のように思えることはとても難しく一握りの人だけじゃなかろうかと思います。私は今のところ生物として当然の過程であるし年を取ることを否定するような生き方はしたくないですが、それでも最終的な老化を幸福なものとして感じられるかどうかはまだ自信がありません。
お年寄りと接するとどうしても私は得たものを失った切なさと自分の将来の姿を想像する恐さにさらされるのですが、そのことを思うと介護の人やお年寄りを相手にする心理士や医者はすごいなぁと思います。もしかしたらそんな感情を排しながら仕事している人もいるかもしれませんが。あるいは職業としてだからこそ可能なのかもしれないと思いますが。肉親、特に息子や娘として接することの難しさは比べ物にならないでしょうから。かつてはとても頼りになって支えになって自分がいるのもその存在のおかげで、というもっとも充実した時期をともにしていて、自分のアイデンティティの一部として組み込まれているような両親が様々なものを喪失していく過程というのはなかなか直視できないようなものだと思います。直接的に介護するとなれば、自分の時間や活動に対する負担のようにもなって葛藤を抱えるだろうし。職業として割り切れない訳ですから。
自分が将来どれだけお年寄りの方や両親に接するかはわからないけれども、そのことをあまり悲観したくないですし、自分が年を取ることもあまり悲観したくはないものです。
posted by hiro at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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