2007年04月22日

言葉も出ない

連続的に投稿していますが、どうしても気になったので。

この事件。ネットで最初にタイトルだけを見たときは国外のニュースかと思ったのですが日本のニュースでした。悲惨すぎる。キティ・ジェノヴィーズ事件を彷彿とさせます。被害者の方が感じただろう絶望や屈辱、憎しみ、嫌悪、人間不信、悔しさ、悲しみなどを思うと言葉も出ない。心の傷だとか心のケアだとか軽々しく言うのは嫌いですが、この方のこれからの人生がより良いものであることを願うばかりです。
こんな事件が起きた時に言葉を出せる人でありたい。続きを読む
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2007年04月21日

DSMの心理学における位置

タイトルは知的な印象を感じさせるけれども、そんな内容ではありませんw

先日、とある心理学科を卒業した人と話している時にその人がDSMを知らないという出来事がありました。DSMの詳しい内容を知らないというのではなく(そんなもの私も覚えていない)、DSMの名を知らない。個人的にとても衝撃的なことだったのです。
そもそもDSMは精神医学の分野のものですが、心理学を学んでいれば何回かは耳にするもので、内容は知らなくともある種の常識のように私は思っていました。一般の人も耳に or 目にするものだと思います。
それとも私自身が臨床的な方向に方向付けられているので常識のように思っていただけであり、基礎系の人の間ではDSMの名を知らないことは珍しくないことなんでしょうか。私にはわかりません。

しかし、

それにしても、

それにしても、

衝撃的なのはその人はかつて臨床系の院に進もうと考えていた人だったことorz
それでDSMの名を知らないというのは・・・。
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ポンビドーセンター展

ポンピドー・センター展に行って参りました。

初国立新美術館だったのですが、美術館自体がかなりよい建物でした。まずは乃木坂駅に直結しているところ。駅から直接行けるのはらくちんでちょっと衝撃的。美術館の容積もかなり大きく、同時にいくつも企画展をやっているなどとてもキャパシティーが高いところだなぁと思いました。
企画展の内容はフランスの国立近代美術館、1900−2005ということでかなり多様な作品が同時に出品されており、とても楽しめました。先日行ったオルセー美術館展では印象派ばかりを集めていたのに対し、ピカソ・シャガール・モディリアーニなどの絵画から、ジャコメッティの彫刻、さらには写真や現代美術、映像作品までおいてあり、まさに多種多様、芸術の時代変遷までなんとなく感じ取れるような構成でした。1つの企画展なのにお腹いっぱいという、最近の企画展の中では一番満足感の高いものだったと思います。
いわゆる普通の絵画の前では人が群がっていたのに対し、現代美術の前では人がそそくさと駆け抜けて行く映像が頭に残っています。同様におもしろいものだと思うのに。現代美術は普通の絵画に比べるとわけがわからないものが多いからでしょうか。そのわけのわからなさを味わうことが醍醐味だと思うし、そのわからなさを表現しようと努力することが現代美術の優れた点だと思います。
また作品の見せ方というか美術館がよいです。なんとなく美術館というと、暗くちょっと狭い順路を順々に追って行くというのが多いと思うのですが、国立新美術館は天井がものすごく高く、さらに照明も明るくて、順路を追うというよりも大部屋に一度に作品を掛けておくというものでした。そういう意味ではあまり窮屈感もなく快適でした。いわゆる美術館が作品との親密な個人的対話を引き出すのとは対照的に、作品が気さくに自分と他の鑑賞客とに話しかけるような、開かれた対話をしてくるような印象を持ちました。
モネ回顧展もやっているのでそのうちもう一度行くことになるでしょう。こちらのほうが混みそうだけど…。ポンピドー・センター展は5月7日までなので興味のある人はお早めに。
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2007年04月17日

私説 対象関係論的心理療法入門ー精神分析的アプローチのすすめ

私が一番好きな臨床家かもしれない。

私説 対象関係論的心理療法入門?精神分析的アプローチのすすめ


著者が専門とする対象関係論的心理療法を実際に始めるために留意すべきこと、始めた後に注意する点が面接過程にそって取り上げられている。対象関係論を学ぶ?クライン派精神分析入門
分析空間での出会い?逆転移から転移へ
などの理論的といえる書を出している著者が技法的な書を出すのは始めてではないか。いくつかこのような技法書類を読んだことはあるが、もっとも丁寧に面接過程で起こりうる問題を描き出しているように感じる。
例えば第一章は面接を行うこととなる面接室(分析空間)をどのようにセッティングするかということに当てられている。面接室のセッティングは面接過程が実際に進む場でありとても重要だが、留意することをことこまかに書いてある。また第十章では面接過程で起こりうることごととそれに対して考えるべきことが列挙されている。結局は分析空間に持ち込まれるすべての物事をクライエントとの関係性に還元して考えるべきことが書かれているが、実際に持ち込まれた時に冷静に瞬時に考え対応することができるだろうか。しかし本章を読んでおくことで多少なりとも心構えを準備しておけると思う。さらに第二章は見立てに関してどのような視点で相手のパーソナリティーを読むかということが書かれているが、この章がもっとも充実している章ではないだろうか。著者は心理臨床の方は見立ての大切さを十分認識していないのではないだろうかという思いから充実させたと述べているが、見合うものになっていると思うし今後パーソナリティーの勉強をするにあたってもこの視点を心に留めておくことは思考の土台になると思われる。
本書では面接過程でどのようなことに注意をすべきかということを主体に書かれているため実際の臨床例の小文はほとんど載っていない。そのためその注意をした上でどのようなことが思いつかれるのだろうかという具体性を知るためには臨床例が載っている書を読む必要がある。その点では本書は例えて言えば道具の使い方についての本である。理論書は道具についての本であり、臨床例はその道具を実際に使って作った作品やその過程を描いたレシピである。そして実際に面接を行えば、その作品を形作る材料を提供してくれるのは目の前のクライエントであり似たような道具(同じ理論)を使ってもその作品は治療者とクライエントが共同に作るただ1つの作品となるだろう。
終章は終結について書かれており分離に際しての心が書かれているが、読み終えた時に私は本書を机に置きがたくさせられる。それは本書との分離であり、読むことを通して面接過程に参加していたのかもしれない。続きを読む
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2007年04月15日

一週間は長い

講義が始まって一週間、とても長く感じます。

要因1。講義の間長く座っているのにまだ慣れず長時間に感じます。特に昨年度の後期は実習中心で座学というよりも喋りながら作業するという感じだったので、いきなり座学中心になって時間感覚が合わない。
要因2。月曜日から飲みに行ってしまったこと。月曜日がいきなり金曜日のように感じられ、曜日感覚がずれました。これも長く感じる一因でしょう。
大学での拘束時間は実は実習中よりも短くなっているはずなんですけどね。実際の時間経過と体感時間は異なりますね。

先日、観劇に行ってきました。 AOI/KOMACHI
能の演目を現代劇にアレンジしたもので、源氏物語の「葵上」と小野小町を描いた「卒都婆小町」が元ネタ。葵上は光源氏に捨てられた女性が光源氏の妻の葵上を呪い殺す有名なお話だったので、物語の展開もよくわかりとてもおもしろかったです。逆に卒都婆小町は話自体を知らなかったので、ついていくのにしんどい部分もあり。もちろん元ネタを知らなくても楽しめるようにアレンジされていましたが、元ネタを知っていた方が観てて楽しかっただろうなと思いました。
演劇のあの雰囲気が好きです。開演前の劇場の中で人たちがざわついている感じ。照明が暗くなるのにつれてざわつきも収まり、まるで異空間に引き込まれる感じや、その中で1つだけ照明がついて別の世界がくっきりと切り出されて突きつけられる感じ。突拍子もない登場人物たちが目の前で動き喋り語りかけ、その突拍子もない世界を投げつけられ巻き込まれる感じ、そして心が震う感じ。最後に照明が落ちきり現実に戻るとき。
ふと思ったことは自分自身が舞台上の世界に、演じるという意味ではなく、本当に取り込まれた時、その登場人物たちに対して普通に接することができるだろうかということ。観客席側にいるということはやはり世界の境界線に守られていることで、舞台上の世界に入ったら自分の心をコントロールできず狂気に陥るような気がします。そう思うと病態が重い人は舞台を観て楽しむということもできないのではないかと考えたりもします。観客席側にいてもその世界に巻き込まれて自分の心をうまく保つことができない可能性もあるのではないかと。実際はわかりませんけれども。
昨年は一回も観劇には行かなかったのだけれども、今年はペースもつかめたのでもっと行きたいと思います。
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2007年04月11日

夫婦カウンセリング

ユング派的カップルカウンセリング。

夫婦カウンセリング?女が真に求めるものは何か


本書の著者はフェミニストでユング派セラピストを自認しており、近年(1987年発刊)の夫婦間の不和は夫婦ともに女性性の軽視が根本にあり、個性化が阻まれているためだとする。その関係性の象徴として民話のガーウェインとラグニル姫の話を取り出し、男性は力に頼る乱暴者に陥らずに女性の自立性を受け入れ、女性はその女性性のネガティブな面(他者を取り込もうとする面)に取り付かれることなく、また男性のようになるのではなく、自分で女性性を発揮しながら自分の決定をする力を身につけなければならないとする。この筋道においてサイコドラマや認知療法など様々な技法を取り入れたカウンセリング技法についての説明がされる。
読後の印象はまずは時代性である。著者は民話を夫婦関係の象徴として用いているが、現在の夫婦関係も同様の民話で象徴できるかはわからない。特にケースによって象徴としての民話を用いるのではなく、すべての夫婦関係の象徴としてただひとつの民話を用いるのは枠にはめすぎているのではないかと感じる。確かにかつては女性の社会進出とともに女性が男性に対して対等になろうとすることは夫婦間の不和の大きな原因だったかもしれないが、現在もそうなのだろうか。もちろん不和のひとつの原因になりうるが、より様々な原因要因があるのではないだろうか。著者はフェミニストを自認しているが、(多かれ少なかれ個性としての主義主張はあろうが)その点で主義主張に強くとらわれることはケースそれ自体を把握するのに邪魔になるのではないだろうかと思う。
また技法はおそらく著者独自のものと思われる。いわゆるユング派の技法(夢分析やアクティブイマジネーションなど)ではないと思う。夫婦に互いの役割を交換して会話をさせたり、夫婦に会話をさせて治療者がその本音を代弁するように語るなどは以前見たミルトン・エリクソン的な催眠療法を連想させる。家族療法といえばシステム論的技法を最初に考えてしまうので新鮮ではある。また2人の治療者が夫婦の前で自分の考えを語り合う技法はリフレクティングの技法を連想させる。全体的に言える技法の特徴は積極的に夫婦関係に介入する点だろう。
ひとつの参考する見方として読むのが本書に対する適切な姿勢かもしれない。

少し話は変わるが、最近私は弁当を作っていてよく友人たちに「偉いね」「すごいね」と言われる。私自身は料理もそれなりに好きだしそんなに努力もしていないのでそのように思わないのだが、女性の友人が弁当を作っていっていることに対して「偉いね」「すごいね」と言われるのをあまり見たことがない。やはり今も料理をする男性は少数派で、料理は女性として当然の行動なのだろうか。
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2007年04月06日

オルセー美術館展

激こみでした。

オルセー美術館展に行ってきました。入った瞬間に前方に人塊を発見し、うつになりました。出てきた後は3時くらいだったのに、入場規制がかけられてて長蛇の列。最後の方の人は十分に観る時間があったのかしら。美術館は早めに行くに限りますね。
内容はよかったです。印象派で有名な美術館ということで印象派がほとんどでしたが、テーマをちゃんと定めていて、絵画と同時に芸術家その人にまで迫ろうとするような企画展でした。例えば「親密な時間」では芸術家が親しい人物を描いた作品を集め、「芸術家の生活」ではアトリエや親しい友人同士を互いに描いた作品を集めていました。
しかし、人の塊がぞろぞろと絵画の前を移動していくのを見ながらどうしてこの人たちは絵を観に来たのだろうと思ってしまいました。これは私の独断と偏見なんですが、日本人はふだん美術館に来ないのに有名な企画展だとすぐに訪れるように思うのですw(ゴッホ展しかりダリ展しかり)。なぜなら他の企画展はあまり混んでないから。ミーハーなお国柄だと思います。

この春に行きたい企画展はダ・ヴィンチ展、モネ展、モディリアーニ展、ポンピドーセンター展かな。パルマ展というのもやるらしいのでそれも興味ありますが。どれも混みそうだな…。
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2007年04月03日

今年度の目標

今日は大学のガイダンスでした。

本格的に新年度が始まるという雰囲気です。実際に講義が始まるのは来週からなのですが。昨年と同等かそれ以上にテストがありそうです。範囲も多そうです。教科書が分厚そうです。教科書は高かったです(3冊4万円なり)。なにはともあれ進級できるようにがんばります。
そんなわけで今年度の目標。
・進級する…大前提です。講義にしっかり出て予習復習をやってテストをこなしていきたいです。
・自分なりに研鑽をつむ…昨年は新しい環境と忙しさにかまけてあまり何もしなかったですが、研鑽をつむことはその中でも時間と方法と態度しだいでできるはず。今年度はここら辺をしっかりやりたい。
・洋書を多く読む…先日洋書を読んでやはり世界レベルをちゃんと見るためにも洋書を読むことの重要性を知る。もちろん訳本がでるものもありますが時間がかかるし良書が訳されるとも限らないので。
・現場を体験する…もちろん精神科の現場。今は長期休みに各大学の精神科学教室を見学に行くことを計画中。
・喪失、嫉妬、臆病を処理する…今年の人間関係の課題。例年以上に心労はたまりそう。
・よく飲んでよく遊ぶ…これがなければ一年間やってらんない。

有意義な一年間にしたいものです。本年度もみなさんよろしくお願いします。
posted by hiro at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

精神療法家の仕事ー面接と面接者

久しぶりに読み直す。

精神療法家の仕事?面接と面接者


本書は実際に精神療法家がその仕事を始めるにあたって心がけることを述べている。面接の始まりから終結までの部と精神療法家としての研鑽と注意に関して書かれた部に分かれていると思う。
読み進めやすい本である。書かれていることは基本的なことであり最も重要なことであるが、著者はさらっと簡単に書き下している。この点は著者の経験がなせる技だろう。しかし、その分重要なことすらも簡単に飲み下してしまえて、少なくとも私は理解がついていかないように感じられた。よって逆に重要なことをしっかりと理解するために注意を要して読み進めた。
またとても誠実な本であると感じた。著者はけっして理論がこうであるから、というようには考えない。患者さんとの面接や自分の感情に素直である。時には自分の感情を素直に(しかし攻撃的でなく)吐露することが治療的に働くとし、これを自白や白状と述べている。治療者はあまり自己開示をすべきではないと書く書物は多いが、反対に素直に述べることを進める書物は少ない。また自分はわからないが理論がこういっているからそうする方が良いと思う、ということまで自白することを勧めているような箇所もある。これは精神療法家の限界や理論に頼る様などいろいろなことを包み隠さず伝えるものである。さらにこの自白・白状を患者側の体験の同型反転であるとし、転移/逆転移関係につなげるところは著者の独自の視点のように感じる。
研鑽や注意の部分は面接の部以上に著者の独自性が表れており、特に治療者のメンタルヘルスやライフサイクル論は目新しい。最近になってこれらのことが論じられている書物がみられるようになってきたと思うが、本書は比較的早めにこれらを述べている。治療者の仕事を続けていく上で先の点は参考にすることが多い。

かつての本書のブックレポートを読み返してみたが、印象的だったポイントが異なっていておもしろい。その当時に比べて私は成長しているだろうか。
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2007年04月01日

結婚の深層

ユング派の書物。

結婚の深層


結婚について書かれたものであるが、特徴的な点は結婚とは幸福を求めるものではなく、むしろ救済を求めるものであり、個性化への1つの道であるとしていることである。近年において物質的・精神的幸福は結婚以外でも満たすことは可能であり、結婚で満たそうとする方が問題を生みやすいとする。反対に人が人格的に発達し個性化をはたすために結婚は有効なのであるとする。
個性化は今まで顧みられてこなかった自身の一面と対決することであり、結婚によって配偶者および自身の一面と対決をし続けなければならない。それは時に犠牲を要するものであり、自分自身の要求を満たそうとすることをあきらめなければならない場面も訪れる。
また性についても語られており、性も個性化への1つの道であるとする。特に、個性化の過程には様々な道が存在するので、様々な性的倒錯の空想はその点で個性化に適しているとされる。結婚において性には正常も異常もなくなり、性的倒錯の空想を通すことでまた個性化に至るとする。
結婚は選択されるものなので決断的個性化であり、性は自ずと通る道なので本能的個性化と区別される。しかし、個性化の道はけっしてこの2種類だけではなくより多様に存在する。そのため、特に幸福を結婚に求める必要がなくなった今では、個性化の道として結婚を選ぶことは必ずしもよいとはいえない。結婚以外の個性化の道も多様にあるので、むしろ今後結婚を選ぶ人々の数が減ることがよいのではないかと著者は述べている。

個人的にはこれはユング派から述べた結婚論であり、これが正しいとは思わず、このような見方もあるのかという感想である。臨床例は2、3例しかあげられておらずけっして臨床的ではない。あえて言えば、ユング派の本書のような文化や社会にまで深層心理をひろげていく傾向は苦手である。本書は救済という単語を使っていることからも宗教的特色も強い。
著者は調べたところによるとユング派の中でも元型派に近い人物で本書でも様々な元型があげられている。しかし、元型は集合的無意識深くに属しそこから表象として滲み出るようなものだと理解しているが、数多く元型があげられるとそれはむしろ元型ではなく普通の個性差のように考えられる。そのため著者のように数多くの元型をあげることがよいとはあまり思わない。むしろもっと少数精鋭であった方がいいのではないだろうか。

ユング派には元型派と発達派に大別されるらしいが、詳しくその中身については知らない。より理解が必要だと思うが、神話や民話に多くの根拠を求めようとする姿勢はあまり私には合わないなぁ。
posted by hiro at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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