2007年03月13日

対象喪失

新書だが深い。

対象喪失?悲しむということ


今は亡き小此木先生の著書。書かれた時代からだいぶ経つが内容は色褪せていないと思う。
本書の主題である対象喪失とは、典型的な例は近親者との死別だが他にも失恋、失業、受験の失敗、身体機能の損失など幅広い概念である。そしてそのような事態に接したときの心理を精神分析的な視点から説明し、本当に悲しむということはどのようであるか、悲しむことがうまくいかなかったときに陥る状態とはどのようであるか、さらに本当に悲しめない人が増えていないか、ということを書いている。
精神分析的な視点というと敬遠されるかもしれないが、あまり理論的なことは書かれておらず実際の感情やその移り変わりについて説明しているためわかりやすいし、自分の実際の体験とも照らし合わせることができる。例えばまず喪失した際には相手に頼っていた程度によるが精神的に不安定な状態になる。さらには喪失した運命に憤り、実際に失われた人やものを恨むようにもなる。同時に思慕の情も思い出され、葛藤の状態に置かれる。それらを乗り越えて後、喪失したものの悪い面をも含んだすべてを受け入れ悲しみながらも前に進むことができるようになる。このように書かれれば自分の体験から似たような状況が思い出されないだろうか。
悲しむためには自分の心の中で別れた人やものについて思いめぐらせることが重要と説くが、同時に通常の生活も営わなければならない。しかし、通常の生活を営むことに集中しすぎると実際に悲しむことはできない。逆に悲しむことに心奪われると日常生活を送ることができない。そのため両者のバランスが大切だが、現代社会は悲しむことを遠ざけていないかと著者は書く。おそらく書かれた当時よりも現在の方が日常生活にすぐに適応することを求めているのではないだろうか。本書の提言はむしろどんどん重みを増しているようである。続きを読む
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ぬるい眠り

江國香織の新しく出た短編集。

ぬるい眠り


一番の売りは「きらきらひかる」の十年後を描いた作品だと思うが、それ以外の作品もかなり楽しめる。本書の短編は以前にいろいろなものに掲載されたもので、そのため書かれた年代は一定でない。そのために江國さんの作風の変化もなんとなく感じることができる。
江國さんの小説の登場人物はしっかりと自立している。描かれている恋愛などで男と女が互いに相手を必要としている心理が描かれていても、独りの人間である上で必要としていると感じる。決して相手がいなければ独りになれないような人物ではないという印象を受ける。フェアという言葉がよく彼女の小説に出てくるように思うが、そのような言葉は独り対独りという対等な関係でなければ出てこないだろう。そのために私は彼女の小説を読むと人間は独りなのだと突きつけられるように感じ、胸に隙間が空き冷えてしゅくしゅくと縮み、そしてそれを耐えるように味わう。それが好きで私は彼女の作品を集めているのかもしれない。
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橋爪大三郎の社会学講義

少し毛並みを変えて。

橋爪大三郎の社会学講義


社会学に興味惹かれていた時に買ったまま読んでなかった本書。心理学は人の心理を研究するけれど、必ず社会との作用で心は影響を受けると考え、当時社会学を勉強したかった。ちなみにブックオフで900円だった。
著者は社会学の分野では有名な研究者。優れているかどうかは私にはまだ判断できませんが。本書では社会学とは何か、その成立過程はどのようなものだったかに始まり、その後政治・経済・文化と宗教について講義をしている。実際の講義録というわけではないが、かなり口語調であるため読みやすい。
内容については当たり前と言えば当たり前のことを書いている。そのために目新しい発見というものはないかもしれない。しかし、当たり前のことを社会学ではこのように記述し説明しようとするのかを知れることは有意義であると思う。また著者は日本の社会学を重視しているため、一般的な政治経済の他に日本憲法について、天皇制について、(時代性もあるが)オウム真理教について社会学的に説明しようとしている。このあたりは一般的な社会学というよりも著者の意見が多く書かれているため賛否は分かれるかもしれないが、ひとつの視点を与えられると思う。
ただ残念な点は社会学についての系統的な概説というわけではないので、社会学の方法論の説明が抜け落ちている点である。著者は社会学とは関わりについての学問であると定義するが、関わりというものは決して目に見えないものである。目に見えないものを探求しようとするとき、時にそれは哲学的な、単なる思考になってしまうときもある。初期の社会学者は哲学者の要素も強かった。現在の社会学は社会科学である以上統計学などを駆使した手法を持っていると思うが、その部分が抜け落ちているため本書の記述についても単なる思索であると言い切ることも可能である。そう言う意味では本書はやはり「橋爪大三郎の」社会学講義である。さらに系統的に社会学を学ぶ場合は別の書籍も必要だろう。
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暗闇に光はさす。。。か

先日、祖母が倒れました。

朝に突然母からメールが来て、2・3日がヤマであると知らされました。予定をあらかたキャンセルして葬式を覚悟しながら実家に帰りました。心筋梗塞だったのですが、一度入院した後急変を起こし人工呼吸器をつけ意識を落とした状態でした。その後、意識を戻すことはできたのですが呼吸器を外してしまうと状態が悪化するため外せないそうです。意識を落とせば周りの機器が状態を安定させてくれるため急変はないけれども、そのような状態が続くことがよいことかわからないし、今後良好な状態にならなければもしかしたら悲しい決断をしなければならなくなるかもしれません。
同じ市内に住んでいたとはいえ同じ家に住んでいなかったので、同居していたいとこに比べれば私は実感がわきません。今も家の中でお茶でも飲んでいるのではないかと思ってしまいます。呼吸器をつけている祖母を見ても本当に現実なのかわかりませんでした。まだ生きているのに喪服の準備をしなければいけなくちぐはぐな感じがして、けれどもそのちぐはぐさが厳しい現実を表しているようで。なんとも言えません。
けれども一番辛かったのは祖父を見たときです。祖父も祖母もけっこうな年ですけれど、やはり祖父は自分よりも早く祖母が倒れるとは思っていなかったようでとてもショックを受けていました。意識のない祖母に話しかけたり、しきりに涙ぐんだり、怒ったり。。。2人で過ごしてきた年月の重みを感じさせられたし、その辛さが伝わってくるだけにぐっときました。祖父まで調子が悪くならないように祈り支えるばかりです。

続きはもっと冷めた目で感じたことについて。続きを読む
posted by hiro at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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