2007年03月31日

Learning from Life: Becoming a Psychoanalyst

デザインがきれい。

Learning from Life: Becoming a Psychoanalyst


松木先生などが訳出されているケースメントの最新の著作。訳出されるのにまだ時間がかかるだろうと思い原著を読む。著者が分析家となる前にかなり病んでいたこと(精神病院への入院含め)に驚き、最初の著作患者から学ぶ?ウィニコットとビオンの臨床応用
が当時異端のように受け入れられたことにも驚く。また著者はもう臨床家としては引退していたこともショック。
タイトルにあるように著者自身の人生を描きさらにそのイニシャルケースを提出しながら著者がどのようなことを学んだかを示している。著者は精神分析家になる前にソーシャルワーカーとして働いていたので本書にはその時の事例も数多く例示されている。しかし全ての事例に共通している著者の姿勢は、クライエントの流れに真摯についていくもので、援助者が自分の考えをぶしつけに押し付けることを除こうとするものである。
いくつか印象的な章をあげてみよう。Learning to say 'No'からは援助者が制限を設けることの重要性が述べられている。時に援助者はクライエントがかつて体験できなかったような良い人であろうとするが、それが必ずしも良いとは限らない。あくまで制限の中で援助は行わなければならないとする。制限はともすれば自分自身に限界を設定するのでその範囲内に留まることは成長を促さないだろうが、限界を必ず超えることが出来ると考えるのは理想的すぎるだろう。
Hate and containmentでは人がどのように嫌悪をコントロールできるようになるかが述べられている。最早期に他の人が表現されている嫌悪に耐えられるものとして接しなければ、実際に嫌悪を体験している人はその感情に耐えられなくなり、耐えられる存在が現れることを望みながら嫌悪をまき散らすか、自分自身で嫌悪をコントロールしようとその感情自体を体験しようとしなくなるとし、特に後者から回復する過程を例示している。
internal supervision in process:a case presentationではクライエントが援助者の行為をどのように体験するかということをクライエントの身において理解しようとする過程が描かれている。本当の意味でクライエントの身になって理解することは不可能であり、様々な可能性を想定できるのみである。本章は著者のワークショップを収めた体裁になっており著者から講義を受けているようである。
全体を通して印象的な言葉は'Who is putting what into this space?'である。著者はセラピー中にこの言葉を浮かべるが、ここに著者の姿勢が表されていると言えるだろう。

読み終えて英語の力が落ちていることを実感。また洋書を読むことの意義も痛感。
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2007年03月27日

1年前に戻るようで

またもサークルの追いコンに顔を出しにいきました。

卒業生に最近会いすぎて別の大学に行っているように思えないと言われました。確かにここ1ヶ月はよく通ってたからなぁ(笑)卒業生たちはいろいろと各々の道を進んでいきます。みんなと10年後にどうなっているんだろうと話し合ったけれど、自分がちゃんとみんなに顔を合わせられるような人になっていますかどうか。まだまだ学生のあまちゃんですが背筋だけでも負けないようにピンッと伸ばさないとね。
また懐かしいOBOGとも顔を合わせました。こちらもいろいろなようです。友の言葉ですが、後悔をしないように、というのが生きていく上では重要な気がします。自分の人生だから自分の選択に責任を持って胸を張れるようにありたい。
そういえばオルセーに行くつもりだったのに休館日だったことを思い出しました。ぜったいに行ってやる。
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2007年03月24日

精神科における予診・初診・初期治療

絶版になっていた名著が復活。

精神科における予診・初診・初期治療


一度図書館で借りて読んだのですが、先日書店で復刻されていたのをみつけ即買。前回はメモを取りつつ読んでいたけれども、自分の手元に実物がおけるのは心嬉しい。しかも前の版にちゃんと加筆をしていてDSMー4を念頭に入れつつ書いてある点がにくい。来年には齢80になるというのに笠原先生恐るべし。
内容は初心の精神科医が念頭に入れておくべきことであり、予診・初診・初期治療と3章立てになっている。この本の優れていると私が思う点は予診の項である。初回面接(初診)の始めての出会い性はとても重視され、初回面接に関して多く書かれた書物は世に溢れている。そのため、初回面接で心がけておくべき点はかなり知られているように思うが、予診について書かれた書物は少ないのではないか。予診と初診は異なるものであるという視点のもと、予診で心がける点が列挙されている。心理の人も医師の人も病院での最初の訓練としては予診が多いだろうから読むと助けになるのではないか。私なんかは最初に読んだ時、まずは家族に会うべきという文言に驚いた(もちろん初診では病人とされる人に最初に会う)。
初診と初期治療の項でも心がける点を箇条書きに列挙し、補足して説明するというスタイルを多くとっている。初診の項では、初診であるからやや診断に重きを置いているが患者に対する心配りも多く、目次の項目を読むだけでも参考になる。初期治療の項では、専門的精神療法(精神分析、認知行動療法etc.)を大精神療法とし、それに対する常識的な小精神療法において心がけることを列挙しているがこれもまた参考になる。というよりも精神科面接の本質が書かれているように思う。深層心理学的精神療法に興味があると患者の内面の深層にどうしても入りたくなってしまうが、深層への介入はできるだけ避けるという文言は胸に刻むべきである。神田橋の著作などにもあげられているが、優れた精神科医ほど深層への介入を控えている。おそらく精神科医として多く患者と接する中で、深い介入をせずとも休息や時間をおくだけで回復する病人の健康な面を強く信頼しているからだろう。心理屋はどうしても心理に突っ込みたくなるが、深い介入をせずとも治療は可能であることも知る必要がある(もしくは心理屋に回される患者は深い介入が必要だから回されているという側面を)。
また絶版になる前に買っておくことをお勧めします。
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2007年03月22日

サクラが咲いた、次に咲くのはいつの日か

今日は以前の大学の卒業式でした。

サークルに置き忘れてたものもあって取りに行ったけれども、同時にみんなの晴れ姿を見に行きました。サークルの卒業生のも、学科の卒業生のも。卒業おめでとうございます。みんな卒業生っていう感じがして羨ましかったです。自分まだまだ学生が続きますw
本当は写真を撮った後にオルセー美術館展でも行こうと思ってたんですが、思ったよりも長居したために断念。新宿をふらっとして帰宅。次に東京に出る用事があるのは月曜なので、そのときに行こうかしら。誰か行きたい人いたら連絡でも。ほっとくとずっと寝て結局行かないというパターンになることが多いのでw続きを読む
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2007年03月21日

それから

祖母が亡くなりました。

先週の土日にお通夜・葬儀とありました。いろいろと思うことはあるのですが、ここでは少しだけ。まずは参列者が多かったことが嬉しかったです。お年寄りの女性の葬儀となると仕事をもってないこともあり参列者が少ないそうですが、かなり多くの参列者に来て頂き祖父母の人徳を感じました。
近親者が亡くなるという遺族にとっての喪失体験の大きさも感じました。孫、子どもにとっても大きいですが、やはり祖父が一番辛そうで。あと葬儀の忙しさなどは直接喪失体験を味わうことを少し遠ざける役割があるのだろうと再確認しました。
あとは葬儀に接したとあって、解剖実習で勉強させて頂いたことに関して感謝の念を強く持ちました。葬儀に出すことや入棺も行えないことがご遺族の方々にとってどれほど心苦しいことかがいまさらながら実感できました。今までは言葉の上での感謝しか持っていなかったと思いますし、逆にもっと何かできたのではないかという後悔の念も起きてきます。
これ以上書いても支離滅裂になるのでこの辺で止めておきます。

また先週の土日はかつて所属したサークルの追いコン、通称卒パがありまして。参加する気満々でしたが、上記のため欠席させてもらいました。それでも料理を作ってみんなに食してもらったことは嬉しい限りです。料理に凝り出してから卒パでみんなに自分の料理を味わってもらうのは夢でしたからw 主催者の卒業生のみんなお疲れさまでした。最後の最後で参加はできなかったけれども、同じ学年だったみんなともう一度何かを作り上げようとしたことは自分にとってとても幸せな時間でした。自分がこの学年の一員であり、みんなと協力して今までやってこれたことを再確認しみんなに対して、ありがとうとがんばったねとお疲れさまというごちゃまぜになった言葉をかけたいです。他大にいってしまいこの一年みんなとあまり会えなかったにも関わらず、最後にサークルの最終学年として主催者側に回れたことは最高の思い出です。暖かく迎えてくれてありがとうw
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コミュニケーション不全症候群

タイトルから想像される内容とはちょっと違う。

コミュニケーション不全症候群


著者はコミュニケーション不全症候群とは他者に対する想像力が欠如し、自分の知り合い以外を人間とみなせず、そのような他者と関わっているという考えがないような人々とする。そしてその異常の原因として過密化し競争原理が行き渡った現代社会をあげている。さらにコミュニケーション不全症候群の顕著な例としてオタク、ダイエットに執着する人々、いわゆるヤオイものに熱中する人々をあげ、根底にあるのは先の異常であると例証しようとする。
根底にあるコミュニケーション不全症候群という考えには賛成できる。私を含めてかもしれないが、確かに最近の人々はあまり見知らぬ他人のことに関して我関せずという状態だろう。おそらくこれは昔の社会からあったものだろうが(小さい集落ではお互い顔見知りであり他の集落の人に対しては冷たかっただろう)、都市に人々が過密化したために顔見知りの人が少なくなり暖かく接せられる人の数が少なくなったのだろう。また最近の格差社会ではないが、自分の生活にゆとりがなければ他者に対してゆとりを持って相対することはできないという側面もあるだろう。15年以上前に書かれた作品であるが、この点は現代でも変わっていない、むしろ悪化しているとも言えるだろう。
しかし、各論となると異論もでてくる。おそらく時代性もあるのだろうが、宮崎事件や女子高生コンクリ詰め殺人事件、摂食障害にコミュニケーション不全症候群の表れを求めすぎている。そこから派生しオタクやダイエットに執着する人々、ヤオイものに熱中する人々を論じるが、あまり共通性があるようには思われない。各論それぞれをとりあげれば賛成できる点もあるが、無理にコミュニケーション不全症候群にまとめあげようとしているように感じられる。またそれを時代への過剰適応としていることも飛躍しすぎているように思える。そのために各論においては言いたいことがあまり筋道だってはわからない。先の事件があまりに衝撃的だったことはわかるが、それよりももっといわゆる普通の生活をしながらコミュニケーション不全症候群に陥っている人を扱った方がよかっただろう。
また現代社会に病因を求めている故に、ところどころ統合失調症や自閉症までも現代社会にうまくついていけなかったためだとしているのは言い過ぎだろう。ある種の精神障害が社会への適応過程で発症するのはわかるけれども、病因の素因としては本人のなかに求められるのが反精神医学後の流れである。
コンクリ詰め殺人事件の主犯格であった男子高校生の「自分のガールフレンド以外は人間に思えなかった」という発言を何度か取り上げているが、最近の突発的に起こる殺人事件やいじめには似たようなものを感じる。「殺人を経験してみたかった」という理由もあったし、いじめる子どもはいじめられている子どもをあまり人間とは思っていない(人間的な感情があると思えない)だろうし、虐待も躾とは言いつつやはり想像力の欠如があると感じられる。各論にはついていけないにせよ、他者への想像力の欠如といったコミュニケーション不全症候群といったものはかなり多くの人に当てはまるだろうし、どうにかしなければいけない問題だろう。著者は社会はなかなか変えられないし、時間と自分を見つめる勇気によって解決できるだろうと書いているが、もっと社会的にどうにかしなければいけないレベルにもはやなっていると思う。
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2007年03月16日

流れを読む心理学史

買ってからずいぶん放置していた本。

流れを読む心理学史?世界と日本の心理学


心理学史の本ですが、近代心理学以前、近代心理学成立後、比較的最近の心理学、日本の心理学史、知能検査からみる心理学史、心理学史の意義、というような構成になっている(題目をつけたのは私)。全体的に言って各研究の内容はあまり詳しくありません。各研究といっても人名・年代・そのテーマくらいが紹介されるのみ。それよりも各人・各研究のつながりや社会情勢の変化との関わり、心理学全体の方向性の変化などを重視している。そのため心理学史上の有名な研究を知りたいと思っている人には不向き。
本書で特徴的な点は日本の心理学史、知能検査からみる心理学史、心理学史の意義にそれぞれ1章分をあてていることだろう。日本の心理学史では明治以後に誰が心理学を欧米から紹介しどのように日本の大学制度の中に組み込まれていったのかを知ることが出来る。単純だが私はやはり旧帝国大学、というより東大と京大の歴史の深さに関心した(歴史が深ければ優れているということはないけれども)。
知能検査からみる心理学史では知能検査というもの自体が社会との関係の中で意味が変化していったことを追っている。よく聞くことではあるが、ビネは知能検査を知的障碍児により適切な教育をするために使ったが、その後の特にアメリカの知能検査は平均的な数値よりも劣っている人を排除するために使われた(教育年月の差や文化の違いなどを考慮することなく)。ただ年号を覚えることよりも、あることが年月の変化の中でどのような影響を受け変化していくことを知ることが重要だという視点である。それは心理学史の意義につながり、その方法論や注意すべき点などをあげ、心理学史という研究分野への招待で終わる。
心理学史を本格的に勉強するためというよりも、心理学史を勉強するとはどういうことかということを知るための本であり、本格的に勉強する前に一読するのがいい読み方かもしれない(ただ有名な研究の要点を知っておかなければ読みにくい)。
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2007年03月15日

おもしろいニュースが出た

このニュース

まぁ当然な提案だと思います。今の医師不足は様々な要因が絡んでいるけれども、私が前々から考えてたことだが医師を全て国家公務員にしてしまえば即解決。ちょっと極端だとしても。今回の提案は僻地や医師不足地域で活動することを義務化するのだから、近い考え方です。2年の研修が終わった後にすぐに派遣するのはどうかと思いますが。
今の医師不足には様々な要因があると書きましたが、最も重要な点は医師の自由さだと思います。以前(今もかな?)厚生労働省は医師が多すぎるということで医師削減計画をだしました。しかし現実は医師不足が叫ばれていて、時に医学部の定員を増やせという言葉も聞かれます。この言い分は互いに矛盾していますが要は医師の全体的な数は全国的には足りていると思うのですが(諸外国と比べてどうかはわかりません)、都市圏に集中しているためだろうと。医師は他の職種と比べるとどこでもやっていける利点があり、多くの人が都市圏にいってしまう。
しかし、かつてはこうではありませんでした。医局という医師を取り仕切るものが各大学にありまして、各大学を卒業した医学生はこの医局に所属し、医局が医師不足とされる地域に各医師を数年単位で派遣をしていました。そのため今ほどには医師不足が叫ばれなかったわけです。おそらく医師過剰と言われたのはこの制度があったためです。
この制度が卒後臨床研修制度、マッチング制度で崩れます。卒後臨床研修とは医学部を卒業した後の義務化された研修で各診療科を回るものです。研修場所としては各大学および大きな市中病院があり、マッチング制度のもと病院側の希望と学生側の希望をすり合わせて研修場所が決まります。
まず単純に比較して市中病院と各大学の待遇では市中病院の方がよいのです。さらにマッチング制度のおかげで医局に所属しなくとも研修が受けられるようになりました。かつても一部の有名市中病院では研修を行っていましたが、卒後臨床研修の義務化でより多くの市中病院も行えるようになりました。そこで多くの学生は市中病院に流れ、医局に人は集まらなくなり、医局は派遣が出来なくなり、医師不足が進んだんだと思います。
さらに当たり前だと私は思うのですが、現在の医学部の入学生はおそらく大都市圏の優秀な学生たちでしょう。つまり地元は大都市圏なわけです。入試の時点では大学はどんな田舎の大学であろうと入れればいいので全国に散らばりますが、卒業して研修の段になると地元つまり大都市圏の市中病院に行ってしまうのだろうと思います。昔はそのまま各大学の医局に所属したため田舎の大学で研修を行っていたのですが、先の制度で医局に所属せずに地元に戻って研修を受けるようになり、特に田舎の大学の医局の医師不足は進んでいると思います。そのため田舎の大学では卒後その地で研修を受ける人のための募集枠を新たに作ったりしています。
このような経緯を考えると医師会の提案は妥当です。僻地での診療を卒業生に義務化させれば例え市中病院で研修を行ってもその後僻地に行かなければなりません。ただ研修終わってすぐの医師を派遣しても無意味なので卒後一定期間を経たいわゆる医師としてなんとか一人前になった人を派遣するのがいいと思いますが。そうすれば例え専門の科に進んでも一般的な診療の訓練も積もうとするのではないかしら(基本的に医師は専門バカである)。おそらく次の問題は医局に変わる派遣をしきる組織を作ることでしょう。卒後臨床研修制度に参加しているすべての市中病院を含むため大変かもしれませんが。続きを読む
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鈍感さとパンチェッタ

最近の流行語「鈍感力」。

渡辺淳一が書に表し、小泉前首相も安倍総理に語りかけた言葉。最近の自己認識として自分は鈍感だというのがあります。
周りの友人が他の友人と付き合ったり、誰かに好意を寄せていたりするのですが、周りから言わせると私はそういうことに疎いらしい。ことが全て終わってから遅れて知ったりします。鈍感キングの称号が不覚にも授与されそうです。
しかし、思い当たらないこともありませぬ。例えば私は人の言葉を鵜呑みにします。あからさまに嘘というかからかってやろうとする言説は見破れますが、「○○なんか好きじゃないよ」と言われれば鵜呑みにします。他の身振りなどで色々と示されているようなんですが、私は読み取れてないようです。
これだけ書くと発達障碍の傾向のような記述でもありますねw。私の鈍感さはよく言えば他人のことはあまり気にしない、悪く言えば自己中心的とも言えるかもしれません。ひとまず私に何かを伝えたい時にははっきり言葉にしてくださいw



閑話休題、次の写真をどうぞ。
パンチェッタ








これは自家製パンチェッタです。パンチェッタについて知らない人はこちらこちらをどうぞ。
カルボナーラなどに最適らしくこれは作るしかないと思って作ってみました。完成した後、最初は薄切りにして焼いたものを試食。「…んー、肉のうま味がしみ出てくる。確かにちょっとクセがあるけどうまい!」という感想。次にカルボナーラを作ってみる。「…肉がうまい!しかしソースは少ししょっぱいな。」という感想。ベーコンよりも塩味がきついためソースもちょっとしょっぱくなった模様。次にカルボナーラを作る時にはもう少しゆでるときの塩を少なめにするのがよいと見た。
通販で高価なものが自宅で作れると幸せですね。うまいし。大量に出来て今は冷凍しています。食べたい人には食べさせてあげることもできるかも・・・?味の保証は致しません。

作り方を参照したのは主にこちら。他にもさまざまなサイトで自作レシピが載っていますが、必需品はピチット。通販もしてますが私は東急ハンズで買いました。興味があればお試しあれ。
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2007年03月13日

対象喪失

新書だが深い。

対象喪失?悲しむということ


今は亡き小此木先生の著書。書かれた時代からだいぶ経つが内容は色褪せていないと思う。
本書の主題である対象喪失とは、典型的な例は近親者との死別だが他にも失恋、失業、受験の失敗、身体機能の損失など幅広い概念である。そしてそのような事態に接したときの心理を精神分析的な視点から説明し、本当に悲しむということはどのようであるか、悲しむことがうまくいかなかったときに陥る状態とはどのようであるか、さらに本当に悲しめない人が増えていないか、ということを書いている。
精神分析的な視点というと敬遠されるかもしれないが、あまり理論的なことは書かれておらず実際の感情やその移り変わりについて説明しているためわかりやすいし、自分の実際の体験とも照らし合わせることができる。例えばまず喪失した際には相手に頼っていた程度によるが精神的に不安定な状態になる。さらには喪失した運命に憤り、実際に失われた人やものを恨むようにもなる。同時に思慕の情も思い出され、葛藤の状態に置かれる。それらを乗り越えて後、喪失したものの悪い面をも含んだすべてを受け入れ悲しみながらも前に進むことができるようになる。このように書かれれば自分の体験から似たような状況が思い出されないだろうか。
悲しむためには自分の心の中で別れた人やものについて思いめぐらせることが重要と説くが、同時に通常の生活も営わなければならない。しかし、通常の生活を営むことに集中しすぎると実際に悲しむことはできない。逆に悲しむことに心奪われると日常生活を送ることができない。そのため両者のバランスが大切だが、現代社会は悲しむことを遠ざけていないかと著者は書く。おそらく書かれた当時よりも現在の方が日常生活にすぐに適応することを求めているのではないだろうか。本書の提言はむしろどんどん重みを増しているようである。続きを読む
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ぬるい眠り

江國香織の新しく出た短編集。

ぬるい眠り


一番の売りは「きらきらひかる」の十年後を描いた作品だと思うが、それ以外の作品もかなり楽しめる。本書の短編は以前にいろいろなものに掲載されたもので、そのため書かれた年代は一定でない。そのために江國さんの作風の変化もなんとなく感じることができる。
江國さんの小説の登場人物はしっかりと自立している。描かれている恋愛などで男と女が互いに相手を必要としている心理が描かれていても、独りの人間である上で必要としていると感じる。決して相手がいなければ独りになれないような人物ではないという印象を受ける。フェアという言葉がよく彼女の小説に出てくるように思うが、そのような言葉は独り対独りという対等な関係でなければ出てこないだろう。そのために私は彼女の小説を読むと人間は独りなのだと突きつけられるように感じ、胸に隙間が空き冷えてしゅくしゅくと縮み、そしてそれを耐えるように味わう。それが好きで私は彼女の作品を集めているのかもしれない。
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橋爪大三郎の社会学講義

少し毛並みを変えて。

橋爪大三郎の社会学講義


社会学に興味惹かれていた時に買ったまま読んでなかった本書。心理学は人の心理を研究するけれど、必ず社会との作用で心は影響を受けると考え、当時社会学を勉強したかった。ちなみにブックオフで900円だった。
著者は社会学の分野では有名な研究者。優れているかどうかは私にはまだ判断できませんが。本書では社会学とは何か、その成立過程はどのようなものだったかに始まり、その後政治・経済・文化と宗教について講義をしている。実際の講義録というわけではないが、かなり口語調であるため読みやすい。
内容については当たり前と言えば当たり前のことを書いている。そのために目新しい発見というものはないかもしれない。しかし、当たり前のことを社会学ではこのように記述し説明しようとするのかを知れることは有意義であると思う。また著者は日本の社会学を重視しているため、一般的な政治経済の他に日本憲法について、天皇制について、(時代性もあるが)オウム真理教について社会学的に説明しようとしている。このあたりは一般的な社会学というよりも著者の意見が多く書かれているため賛否は分かれるかもしれないが、ひとつの視点を与えられると思う。
ただ残念な点は社会学についての系統的な概説というわけではないので、社会学の方法論の説明が抜け落ちている点である。著者は社会学とは関わりについての学問であると定義するが、関わりというものは決して目に見えないものである。目に見えないものを探求しようとするとき、時にそれは哲学的な、単なる思考になってしまうときもある。初期の社会学者は哲学者の要素も強かった。現在の社会学は社会科学である以上統計学などを駆使した手法を持っていると思うが、その部分が抜け落ちているため本書の記述についても単なる思索であると言い切ることも可能である。そう言う意味では本書はやはり「橋爪大三郎の」社会学講義である。さらに系統的に社会学を学ぶ場合は別の書籍も必要だろう。
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暗闇に光はさす。。。か

先日、祖母が倒れました。

朝に突然母からメールが来て、2・3日がヤマであると知らされました。予定をあらかたキャンセルして葬式を覚悟しながら実家に帰りました。心筋梗塞だったのですが、一度入院した後急変を起こし人工呼吸器をつけ意識を落とした状態でした。その後、意識を戻すことはできたのですが呼吸器を外してしまうと状態が悪化するため外せないそうです。意識を落とせば周りの機器が状態を安定させてくれるため急変はないけれども、そのような状態が続くことがよいことかわからないし、今後良好な状態にならなければもしかしたら悲しい決断をしなければならなくなるかもしれません。
同じ市内に住んでいたとはいえ同じ家に住んでいなかったので、同居していたいとこに比べれば私は実感がわきません。今も家の中でお茶でも飲んでいるのではないかと思ってしまいます。呼吸器をつけている祖母を見ても本当に現実なのかわかりませんでした。まだ生きているのに喪服の準備をしなければいけなくちぐはぐな感じがして、けれどもそのちぐはぐさが厳しい現実を表しているようで。なんとも言えません。
けれども一番辛かったのは祖父を見たときです。祖父も祖母もけっこうな年ですけれど、やはり祖父は自分よりも早く祖母が倒れるとは思っていなかったようでとてもショックを受けていました。意識のない祖母に話しかけたり、しきりに涙ぐんだり、怒ったり。。。2人で過ごしてきた年月の重みを感じさせられたし、その辛さが伝わってくるだけにぐっときました。祖父まで調子が悪くならないように祈り支えるばかりです。

続きはもっと冷めた目で感じたことについて。続きを読む
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2007年03月08日

人生は突然に暗転する

不測の事態のため実家に戻ってきました。

 

今朝からあわただしく、心も落ち着かずやや興奮しています。ちょっとこの先一週間ほどどうなるかわかりませぬ。私自身は大丈夫なのですが。今はまだ忙しいためにかけないのですが、落ち着いたらここでもちょっと書くとは思います。思うこともありますので。

あまりたいした記事ではないですが、簡単な報告のためです。ではでは。

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精神科治療の覚書

いわずと知れた精神科臨床の名著。

 

精神科治療の覚書

精神科と銘打つだけあって扱われる疾患は統合失調症がメインである。今ではもう当然とも言われるのかもしれないこの疾患の全体像、特に経過を明らかにしようと努めている。

優れていると思わせる点は、経過に伴う生理的変化、心理的変化、家族の変化などを合わせて複眼的に経過を論じている点であると思う。生理的変化は医学の中でもっとも重要であると考えられるが、おそらく統合失調症の多彩な精神的症状に囚われるために生理的変化を経過とともに観察することは軽視されていたのではないか。また心理的変化は汲み取られやすいとしても家族の変化と連動して変化するとなると、その相互作用を観察することはなかなかなかったのではないか。本書の家族との力動をつぶさに観察している記述を読むと、著者はわざわざ家族心理学と標榜しなくとも、むしろ軽々しい家族心理学よりも深く家族を見ていると思わされる。

また経過の中でも本書は急性状態をもっとも取り上げて論じている。おそらく多くの患者が急性状態で病院に現れ治療の開始は急性状態を扱うことのためである。そしてこの治療の開始が治療の成功の鍵をかなり握っていると著者は説く。そのため急性状態からの経過や治療の開始における合意をとること、入院あるいは外来で開始するかなどについて詳しく書かれている。初回面接の重要性はあらゆる治療者が述べることだが、著者もその例に漏れず合意を取ることの重要性、さらに広げて治療開始から一週間くらいの重要性を述べている。

治療に際し著者は治療者と患者と家族の呼吸合わせがうまくいかねば治療がうまくいかないと説く。この3者はそれぞれの考えをもちそれぞれに行動する。特に患者と家族は焦りがちである。しかし患者は急性精神病という大仕事を終えた後であり消耗しているため必要なのは休息である。その後の治療も大仕事であり、決して焦りは禁物である。そのため治療者は患者と家族に休息をとらせるため、ゆとりをもたせるためのコーディネーターであると著者は書く。そのためには治療者自身がゆとりをもたなければならない、決して怠けではなく。おそらくこの部分にだけでも治療の真髄が収まっているのではないだろうか。

本書では何度も結核と統合失調症の比較や症状の経過観察の重要性がとりあげられるが、著者が自身法学部時代に結核を患いその後医者になった最初に病理学の研究を行った影響が強いだろう。困ったときはグラフにプロットしてみよ、と説くあたり研究者であったことを印象付ける。私はここに著者の強みがあるのではないかと思う。特に精神医学は精神論や哲学的思考に流されがちな面があるが、その重要性を否定せずに同時に研究者としての理性的、論理的な面を持ちうるために著者はここまで精神科医として名医になったのではないか。精神科医で名医とされる人ほど、論理的な面を身に付けるための訓練を重視していると私は思うが、ただ単に精神論を振り回す者は治療者として大成しないのではないか。

思いついたことをつらつらと書いたが、これだけで本書の優れた点を書ききれるはずもない。医者が書いているため臨床心理学的思考ではなく医学的思考で書かれている箇所が多くあるが、一度読めば本書の名著とされる理由はすぐに理解されると思う。

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2007年03月07日

ナイトミュージアム

試写会に当たったので観てきました。ナイトミュージアム

 

バツイチ子持ちのラリーは職と居住地を転々としていて息子からあまり尊敬されず良い関係も築けない。ラリーはそんな自分を変えるため職を探し、なんとか見つけたのは自然史博物館の夜間警備員だった。しかし仕事初日から信じられないことが起こる。その博物館の展示物は夜になると動き出すのだった。。。

はっきりいっておススメです。観て損はないと言い切れます。何を期待するのかにもよりますけれども。笑うことを期待するのなら絶対笑えます。この映画を観て笑えないのなら笑う感覚が麻痺しているとまで言えるのではないでしょうか。

ラリーの性格はいわゆる情けない男性でそれが後半にかけて変化していくとかかなりありきたりなんですが、それよりも脇役がとてもキャラ立ちしています。もはや脇役なんてくくりにできない。ラリーも笑わせてくれますが、それ以上に彼らは笑わせてくれます。ティラノザウルスの化石、サルの剥製、モンゴル系のフン族、ルーズベルト大統領、そしてローマ帝国や西部開拓時代のミニチュアの人々・・・。一癖もふた癖もある人物たちで思いもよらぬ意外な面で笑わせてくれます。特にラスト近くのあのシーンwww

試写会会場が笑いに包まれていました。あんなに観客一同が映画で笑うのは初めての経験です。それほどまでにユーモアたっぷり。笑いたい人、絶対観るべき。

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2007年03月05日

お酒の席

昨日は大学の友人と6人で飲みました。

そんなわけで今朝はちょっと胃が荒れ荒れです。生ビール×2、黒糖梅酒ロック、スパークリングワイン、日本酒3合くらい、飲みました。軽い二日酔いですかね。でも頭には全然きてないので、まだまし。こう書くと珍しく日本酒を多く飲みました。日本酒は私の鬼門のひとつなんですが。心理の初めのクラコンで日本酒にやられ、別の飲み会では日本酒と焼酎とウィスキーを一度に飲んでやられて(現在までで史上最悪の二日酔い)から軽くトラウマだったのです。焼酎はかなり前からたしなめるようになったのですが、日本酒を本当においしく思えるようになったのはここ最近。日本酒好きの友人の影響ですね。次はウィスキーか?

胃荒れの影響で今朝の食事はみそ汁と卵納豆のみ。みそ汁は昆布と削り鰹からだしをとって。ちゃんととっただしの味は化学調味料のだしに比べるとどこかやさしいほんのりした味になるのです。最初は物足りなかったけどもう慣れました。化学調味料でだしをとるときも入れる量が少なくなりました。ところで納豆は金の粒におわ納豆だったのだけれど、あれは納豆じゃないと思う。大豆の味が前面にでていました。発酵の関係なのかしら?

午後は雨が降りそうだから午前のうちに筋トレしてジョグに行きたかったのだけれども、体調がよろしくないので行けません。昨日の食事が食事だっただけによけい行くべきなのだけれど。まぁ後で筋トレだけでもしておこう。
最近会う人会う人に言われるのでもう確定だと思うんですけど、私おそらく痩せました。痩せではなくやつれではないか疑惑もあるのですがw、上記のように筋トレとジョグを組み合わせた運動をしっかり行った結果なので痩せで確定でしょう。体重計がないので数値化できないのだけれども実家には体組成計がついた体重計があるので、今度帰った時に測っておかなくては。
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2007年03月02日

日本人はやはり和食に惹かれてしまうものか

今マスターしたいのは和食です。

はじめての和食?この一冊で和食の基礎知識と基本料理が手にとるようにわかる


もともと昆布だしとカツオだしをしっかりとってみそ汁作ったり煮物をつくったりしていましたが、もっと基本から和食を勉強したい、作りたいと思って本書を購入。野菜・肉・魚の下処理、さばき方・切り方、煮物・焼き物・和え物・酢の物の基本などが載っています。
今までイタリアンにいきすぎた反動か煮物や和え物をとても食べたくなってきていたのです。焼き物はイタリアンでもありますからね。味付け方法は異なりますが。砂糖や醤油、みりんを使った味付けはやさしく惹かれてしまいますね。The 和食。
ちなみにイタリアンもちゃんと作ってますよ。最近はリゾットがマイブーム。
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2007年03月01日

科学論文

科学的な論文を書いてみたい。

先日、前大学のゼミの卒論・修論構想発表会に参加してきました。色々な構想が出されましたが、その構想を実際に調査して形にしていく作業はおもしろいだろうなぁと思います。だって自分が興味があるけどわからないものをほんのわずかでも結果としてわかる形にできるのだから。世の中わからないことはたくさんあるけど、それが少しでもわかるようになることはおもしろくないですか。
そういえば修論生のある構想が自分が卒論を書くならば扱いたいと思っていたテーマでした。扱うものは同じでもその取り上げ方、切り口は異なるけれども。驚いたことはそのテーマの論文があまりなく、先生もそのテーマは珍しくおもしろいと言っていたこと。むしろこんなおもしろいテーマはかなり扱われているものだと思っていました。非常に臨床的だと思うし。
おそらく実際にやることはないけど、自分がその研究をやるならこうやるという方法論もだいたい考えてあります。文献をまず探すのは当たり前として、このような調査とあのような調査を組み合わせて、その後できれば被験者をピックアップして何かしらのインタビューをして…などという妄想です。ふとした時に考えてしまうのです。
医学部ではこんな論文を書く機会がないからでしょう。研究職に進むのならやりますけれども。これは私の中で心理学科への後悔というか心残りなのかもしれません。忘れた方がよいのかもしれないし、忘れない方がよいのかもしれない。
posted by hiro at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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