2006年12月12日

患者から学ぶ

患者から学ぶ-ウィニコットとビオンの臨床応用

著者はもともとはソーシャルワーカーで、後に英国インディペンデントグループの精神分析家になった人物。様々な方面の分析理論を消化しているようだが、特に影響を受けているのはサブタイトルにもある通りウィニコットとビオンだろう。松木先生などが他の著書も訳出している。
内容は精神分析理論というより、精神分析技法である。むしろ精神療法技法といってもよいくらい幅広い。著者は多数の臨床例を描写することでいかに面接が患者から導かれているかを描いている。それは治療者が分析をしていくという面接ではなく、まさに患者から学んでいく面接である。治療者はともすると自分自身の不安から稚拙に患者に対して反応してしまうが、それは患者からしてみれば自分自身ではないものを押し付けられる感覚のようでもある。著者は患者が面接中にどのように体験しているのかを試みの同一化という概念で体験しようとし、自分自身がどのように体験しているのかを心の中のスーパーバイズという概念で知ることを重要視している。そしてその両方の体験を生む相互的交流を真摯に見つめていく過程を描き出している。
この過程を実際に治療者が認識するために重要なことは、治療者がわからない状態やどうしようもなくなっている状態、わけがわからない状態を体験し続ける能力だとしている。その状態の中で相互的交流を見つめていこうとすれば、その状態さえもが患者からのコミュニケーションの表れであることを知ることができ、治療的に活用できるとしている。そして理論やそれまでの経験は、今起きていることを理解するためにあるのではなく、そのような状態の中で耐え続ける先知恵としてあると書く。今起きていることを理解するために活用できるのは今のその患者との間柄にしかないと。
著者の姿勢は患者についていくことであるとの一言に尽きる。例えある予測や理解が治療者側に生まれたとしても、患者がそのことを実際に表しているときに伝達されて初めて患者に理解として受容される。正しい理解だとしてもそれが早すぎる伝達であるときは間違った理解なのである。なんとなくこの著者の謙虚な姿勢は松木先生の著書から感じられる謙虚な姿勢と共通しているような気がする。だからこそ訳出したのだろうか。
本書のような書物を読むと臨床に対しての不安が時に強く噴出する。果たして自分は耐え続けることができるのだろうかと自分に対しての不安が生まれてしまう。しかし、またその不安を少しずつでも見つめていけばよいのでしょう。また本書ではその治療者が耐え続ける過程が時に患者が治療者を対象として使えるようになるために必要なこととしているが、対象として使うという言葉は中井久夫先生の精神科医(心理療法家)は売春婦に同じという言葉を連想させる。自分たちの心のある部分を患者に差し出して患者に使わせることで患者を癒していくのである。冷静に考えればなんともえぐい職業である。
posted by hiro at 23:33| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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