2006年12月31日

年の瀬

もう年末ですね。

 

今は実家に帰ってきています。家事をしなくてもよいので比較的のんびりはしていますが、休み明けに3つも!テストがあるので勉強をせこせこしている冬休みです。休みなんだかなんなんだか。

もう今年最後の更新だと思うので、軽く今年の学生生活を振り返ります。

一番でかかったのは医学部に入学したことですね。かなり生活環境が変わりました。新しい土地、新しい大学、新しい友人、新しい勉強。新しいことばかりで最初は戸惑いもしましたが、さすがになんとか慣れました。こういうところは人間のすばらしい能力だと思う。

上と関係あるけれども、勉強の内容がそこまで興味を惹かれないと言うのが勉強しててやや辛かったです。この点は覚悟して来たけれども、やはり時にやる気が失せることがあります。テストに追われる生活も辛かった。両方ともこの先続くので今こんなことを言っていると大変ですが。それでも個人的に自分の勉強ができたから有意義だったとは思います。

あぁ、なんか書いてみるとこのくらいしかないかもしれない・・・。前の大学にいた頃は色々と季節ごとのイベントがあって思い出が作られていっていたのに。そんなイベントは全てテストに変わってしまったような気がします。でも、講義が終わった後に江ノ島にふらっと遊びに行ったり、昼間から公園で友人とビールを飲んだり、テスト後にひたすら飲み会を重ねたことは楽しかった思い出です。

来年はどんな年になるかわからないけれど、学生生活の一年一年を大切にして積み重ねていきたいです。

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精神分析セミナーV

精神分析セミナー 3 (3)

副題はフロイトの治療技法論。副題からは古い治療技法を推測してしまいがちだが、なかなかどうして現代的な視点がかなり含まれている。

治療技法の発展の項では、オーソドックスな催眠浄化法から前額法、自由連想、自由連想法という流れを押さえているけれども、その治療法を適用したと思われる症例を引きながら解説してくれているので、実際にフロイトがどのように技法を発展させたかがわかり易い。以前のゼミでフロイトの症例集を読んだけれど、おそらく本書を読んでからのほうが絶対に効果的だったでしょう。

本書で重要視されているフロイトの技法論文、想起・反復・徹底操作はおそらく現在でもかなりの価値がある論文だろう。本書はこの論文を中心にしてフロイトの技法を解説していくのだけれど、単純にいってしまえば患者は過去の記憶を言葉によって想起するだけでなく、現在の治療者との関係の中で過去の重要な関係を行動によって反復し(転移の一種)、それを扱うことで治療できるということ。現在の治療技法と直接的に繋がっている。おそらく扱うという点で解釈の内容に差が出て、自我心理学よりか対象関係論的になるかということはあると思うけれど。

その他、フロイトが精神分析家の治療態度がどうあるべきか、幼児期体験とはどのようなものであるかと考えていたことが書かれている。いわゆる分析家の隠れ身とか禁欲原則とか。注目すべきは分析家と患者によって再構成される幼児期体験は決して全てが現実に即したものではなく主観的に患者によってそう体験されたということであると指摘している点だろう。

しかし、フロイトの治療技法ではやはり客観的な立場にいる分析家が患者の無意識を再構成していくというモデルが成立している。現在では相互に影響を及ぼしあってコミュニケーションをしているというモデルが優勢だろうけれども。それでも治療者は最初にまずフロイト的な治療技法を身に付けるべきだろうと私は思う。そうでなければ治療的な相互コミュニケーションと治療者の病的な面からの患者への影響を区別することができないだろうと考えるからだ。この点は転移・逆転移―臨床の現場からの初めに書かれている2種類の例が教訓だろう(絶版だけれども良書です、見つけたら即買いをしてもいいんでは)。

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精神分析セミナーU

精神分析セミナー 2 (2)

 

副題は精神分析の治療機序。

主にメニンガーの精神分析技法論を題材にして先生方が講義をしている。メニンガーはアメリカの精神分析家でばりばりの自我心理学よりではないけれど、やはり自我心理学っぽい考え方をしていると思う。治療契約を重視している点はおそらく現代とあまり変わらないだろうけれど、メニンガーは治療的退行を治療機序として重要視している。私は前に松木先生の論文を読んだこともあり、退行は転移と表裏一体化しているので、転移の方を治療機序としては重要と思うけれど。しかし本書の中で先生方はメニンガーを題材にしているとはいえ、やはり当時の最新の考えを入れてきているので、転移の重要性もかなり語っている。そのような点は治療機序の変遷が垣間見えておもしろいかもしれない。

またメニンガーは治療における欲求不満が治療を進める原動力だとしているところが私としては目新しかった。あまり治療における原動力は何かということを考えていなかったけれど、いわれてみると確かにそうである。この点はあまり現在でも変わらないのではないか。治療者の失敗が意味あることとされているし。しかし、あくまでwantの欲求不満を維持するのであってneedの欲求不満は起こさないべきだろうと思う。おそらくこの点の見極めが実際の臨床ではかなり難しい点だろうと思うけれど。

さらに時代性もあるのだろうけれど、ビオンやウィニコットの名前が皆無と言っていいのが驚きである。おそらく対象関係論的にではあるけれども、まず治療機序といえばストレイチーの精神分析の治療作用の本質という論文が欠かせないだろうし、その後に先の二人の発展があって現在の治療機序の話になると思う。つまり転移をhere&nowで解釈することがなぜ効果的なのかということである。実はこの点は次の3巻にかなり描かれているように感じる。

 

あまり関係ないけど、やはり北山先生の書き方話し方は北山先生だという感じがします。

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2006年12月17日

精神分析セミナー??

精神分析セミナー 1 (1)


副題は精神療法の基礎。今までその内容が堅そうでとっつきにくく遠ざけていた本シリーズ。しかし、実はセミナーとある通り講義録をテープ起こしして収録したもの。小此木先生や岩崎先生たちが口語でわかりやすく説明しているのでかなり読みやすかった。
内容は精神療法の基礎とある通り、精神分析のことというよりも一般的な精神療法との橋渡し的な内容が多い。だいたい3部構成で、治療構造について、精神分析的診断面接について、入院治療についてという構成になっている。
治療構造はもちろん小此木先生の講義。構造はもはやほとんどの精神療法においてまず最初に扱われるものではないかと思う。その共通点を導きだし、如何に扱うか、治療にどのように影響を及ぼすかが書かれている。
診断面接では伝統的な症状中心の診断とはまた異なる自我の状態や防衛機制を念頭に入れた力動的な診断について書かれている。いわゆる精神療法を行うにあたっては、どのような流派においても、最初に力動的な診断をして精神療法に適応可能かを考えるべきではないだろうか。一律に精神療法を行うことは患者にとっても利することにはならず、あくまで患者にとって利する一手段としての精神療法であるべきである。以前、心理士は見立てが上手くできていないと言われたことがあるのでこの点は今後も重要視していきたい。
入院治療については当然と言えば当然かもしれないが、医師の目線から見た入院治療のことが書いてある。医師がどのように周りのスタッフと連携するか、医師はどのように精神療法と管理を行うべきか。今までは管理と精神療法を行える医師になりたいと考えていたが、入院治療でのその難しさを知る。AT split(管理医とセラピストの分業)の利点や重要性について再考できる。
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2006年12月16日

はぁ

今週末にテストが2つある。やる気が出ない…。

最近の私。
・口内炎に悩まされる
あまりできたことないんですけどね。今回2ついっぺんに左右にできて食事のときなど痛いです。口を開けると痛いです。口内炎がいっぱいできるとなぜかベーチェット病を心配してしまう。取り越し苦労だろうが。
・パスタをひたすら作る
ムーランも買ったし、以前のようにパスタをひたすら作っています。お弁当にまでパスタを作っています。食費を抑えたいんですよ。あるHPの「コンビニの冷えたパスタが許されるならパスタのお弁当も許されるだろう」という言葉に納得して毎朝作ってます。これなら自分に取って作るの楽だしそれなりにおいしいので。今まで冷凍食品や夜作るなどを試みても続かなかったお弁当生活が続きそうな予感。
・運動をする
健康的になるべく、痩せるべく運動を始めました。激しい運動をすると翌日に疲れが残りおそらく続かなくなってしまうので軽い運動を数日おきにしています。目的は代謝効率の良い体を作ること。毎回運動を始めてもあまり続かなかったので今回こそは続けるようにしたい。
・部屋がきれい
最近部屋はけっこうきれいなままです。気が向いたときに簡単な整頓をするように心がけています。毎回10分もかけませんが、それでも効果的です。まだまだ汚い箇所もありますが、けっこう快適な部屋の状態です。目指せ掃除ができる男。
・勉強のやる気が出ない
けっこう有意義な生活をしているのですが勉強のやる気が以前に比べて落ちています。医学のね。テストがあるんだけど…。おそらく受かることを考えるとそれ以上の勉強をする気が起きない。危機感が足りない。戸愚呂(弟)助けてくれ。

そういえば昨日は前大学の卒論〆切だったみたいで。もしかしたら私もひぃひぃ言いつつ書いていたのかもしれないと考えるとなんか遠くにきてしまったなぁと感じます。ひとまず心理学科のみんな、お疲れさまでした。
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2006年12月12日

患者から学ぶ

患者から学ぶ-ウィニコットとビオンの臨床応用

著者はもともとはソーシャルワーカーで、後に英国インディペンデントグループの精神分析家になった人物。様々な方面の分析理論を消化しているようだが、特に影響を受けているのはサブタイトルにもある通りウィニコットとビオンだろう。松木先生などが他の著書も訳出している。
内容は精神分析理論というより、精神分析技法である。むしろ精神療法技法といってもよいくらい幅広い。著者は多数の臨床例を描写することでいかに面接が患者から導かれているかを描いている。それは治療者が分析をしていくという面接ではなく、まさに患者から学んでいく面接である。治療者はともすると自分自身の不安から稚拙に患者に対して反応してしまうが、それは患者からしてみれば自分自身ではないものを押し付けられる感覚のようでもある。著者は患者が面接中にどのように体験しているのかを試みの同一化という概念で体験しようとし、自分自身がどのように体験しているのかを心の中のスーパーバイズという概念で知ることを重要視している。そしてその両方の体験を生む相互的交流を真摯に見つめていく過程を描き出している。
この過程を実際に治療者が認識するために重要なことは、治療者がわからない状態やどうしようもなくなっている状態、わけがわからない状態を体験し続ける能力だとしている。その状態の中で相互的交流を見つめていこうとすれば、その状態さえもが患者からのコミュニケーションの表れであることを知ることができ、治療的に活用できるとしている。そして理論やそれまでの経験は、今起きていることを理解するためにあるのではなく、そのような状態の中で耐え続ける先知恵としてあると書く。今起きていることを理解するために活用できるのは今のその患者との間柄にしかないと。
著者の姿勢は患者についていくことであるとの一言に尽きる。例えある予測や理解が治療者側に生まれたとしても、患者がそのことを実際に表しているときに伝達されて初めて患者に理解として受容される。正しい理解だとしてもそれが早すぎる伝達であるときは間違った理解なのである。なんとなくこの著者の謙虚な姿勢は松木先生の著書から感じられる謙虚な姿勢と共通しているような気がする。だからこそ訳出したのだろうか。
本書のような書物を読むと臨床に対しての不安が時に強く噴出する。果たして自分は耐え続けることができるのだろうかと自分に対しての不安が生まれてしまう。しかし、またその不安を少しずつでも見つめていけばよいのでしょう。また本書ではその治療者が耐え続ける過程が時に患者が治療者を対象として使えるようになるために必要なこととしているが、対象として使うという言葉は中井久夫先生の精神科医(心理療法家)は売春婦に同じという言葉を連想させる。自分たちの心のある部分を患者に差し出して患者に使わせることで患者を癒していくのである。冷静に考えればなんともえぐい職業である。
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2006年12月11日

ついに

買ってしまった。
ムーラン








なんだかわかりますか?ムーランです。先日、友人に尋ねるとほとんどの人が知りませんでした。簡単に言うとこし器、裏ごしをするために使うものです。私の主な用途はトマトソースを作るため。仕上げに裏ごしをする必要があるんですが、普通のこし器を使っていたら手間ひまがかかってかかって。しかし、このムーランならハンドルを回すだけでらくちんにこせてしまうのです。優れもの。レストランとかではおなじみらしい。
ちなみに張り切ってトマトソースを作ろうと思ったらスーパーで生バジルが売り切れ…。しかたないので、裏ごしをしないマリナーラソースというトマトソースを作りました。これでもいいにおいがする…。あぁ本当にトマトソースを作るときが楽しみだ。
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2006年12月10日

年末に向けて

しなければいけないことがいくつかある。

まずは今年は早めに年賀状の準備をしたい。今回は大学を去ってしまったためゼミの先生にも送ろうかと思うし、友人たちにも送らなければならない。図案を考えなくてはいけないが特別考えていない。来年はイノシシ年で年男だがいいものが思いつくだろうか。ちなみに男は本厄である。
大掃除。家事においてもっとも苦手なもの。我が家は壊滅的なまでに汚い。しかし、どうしても掃除をする気が起きない。なので大掃除は一挙に片付ける好機。来年はもっと掃除を習慣づけられるようになりたいな。この間、女の子から掃除ができる男はポイントが高いと言われた。
年末はテスト時期でもある。上の予定もテストの準備をいかに終わらせるかにかかっている気がしないでもない。勉強する気も微妙に起きない。どうしたものかね。だれかやる気を起こさせてください。

どうでもいいが、今度岩波書店からフロイト全集が出るらしい。現在日本でスタンダードなのはフロイト著作集だが、実はこれは微妙に取りこぼしがある。岩波のは全論文をおさめる腹づもりらしい。しかし、どう考えても訳者が微妙である。名前をみたが哲学者が中心なのではないか?知っている人は新宮一成(ラカンより)くらい。誤訳もあるとはいえ当時の一線の精神科医が中心となって訳したフロイト著作集の地位は揺らがないだろう。北山先生が新たにフロイト全集を作りたいという計画を持っているらしいが、いつになるのだろう。早く出してくれないものか。それよりもやはり世界基準のstandard editionを読むべきなのだろうか。
posted by hiro at 10:06| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

メラニー・クライン入門

メラニー・クライン入門


おそらく対象関係論の最早期の最も重要な人物メラニー・クラインの理論および概念を簡易にまとめた本。クラインはフロイトのようにだいぶ理論の変遷もあるので、時代によって論文で取り上げられていることがバラバラで全体像をつかむことは難しいらしい。そのクラインの業績をまとめて理解しやすく読めるのが本書。
読んだ印象は「鋭い」という感じ。いわゆる妄想分裂ポジション、抑うつポジションは現在の理解とあまり差異はなく、クラインの洞察力のすごさを感じさせる。しかし、なんといっても本書の特徴はあげられている臨床例ではないだろうか。単純に言ってしまえば、いきなりこんな解釈をクライエントにしてしまうんですか、という強い印象を受ける。幼児だろうが成人だろうが、ペニスや乳房など器官に結びつけた解釈をすぐさま出している。まさにhere & nowという感じ。もちろん本書でも述べられているが、クライニアンといえどもまず外的な状況を考慮に入れた後で精神内界の解釈、転移解釈を行うそうである。
また乳児がとても壮絶な世界に生きていることが著述され臨床例もあげられているが、ウィニコットなどを読んだ後に読むとなんとも乳児が病みすぎているような印象を受ける。安全な世界で穏やかに過ごす乳児は描かれておらず、常になんらかの不安を感じている乳児が描かれている。本書では不安な世界を描き出すことで安全な世界にも当然のように目を向けることができると書かれてはいるが。
本書を読むと、いわゆるクライニアンに対する批判も理解できる。とにかく転移解釈によって立ち、治療者が作り出す空間や環境を整えることは考慮に入れない、病的な乳児ばかりを扱ったための乳児像であり健康な乳児のもっと安全で穏やかな世界を理論化していない、などなど。もちろんこれは本書が出た当時のクライニアンの理論であって、現在のクライニアンはもう少し変化しているのだろう。特にビオンが投影同一化を介した母親と乳児のコミュニケーションを概念化したことは多大な影響を与えていると思われる。ビオンから強い影響を受けていることを公言している松木先生の「対象関係論を学ぶ」などの書物で描かれている臨床例はもっと自然で上記のような荒々しい鋭さとは異なった洗練された鋭さを持っている。
しかし、ビオンやウィニコットなどクライン以後の重要な人物の理論を本当に理解するためにはその源泉であるクラインの理論を知る必要があるだろう。その意味でも本書には多大な重要性が付されていると思う。
posted by hiro at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

無題

死んだ手は触れる

大腿 頚 手根

いつしか指は柄に変わり

爪は刃に変わる

生きた手は触れる

大腿 頚 手根

いつしか音は拍に変わり

流れは命に変わる

両の手で拾いあげよう

きたないものもきれいなものも放さないまま

そのゴミの宝物が自分だと言い張れるだろう
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2006年12月02日

無題

漆黒の空

雲のかたちも影もない

身体から滲みだし

身体を染め抜いていく

怒り 憎しみ 嫉妬 殺意

中空に輝く一つの満月

ひかりは空にあるのだろうか

僕の身体にあるのだろうか

狂気の中に
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2006年12月01日

無題

人間なんてこんなもんだ

人間なんてこんなもんだ

人間なんてこんなもんだ

それでも人間をやめられずに

しがみついている

そんな人が人間らしいんだろう

そんな俺も人間らしいんだろう
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